【多読SP読了式】大澤真幸×松岡正剛対談(2)二人の読書術

2022/01/09(日)14:00
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2021年12月19日、多読ジムSPコース「大澤真幸を読む」読了式で、大澤真幸さんと松岡正剛校長が対談した。後半の内容をお届けする。

 

 

腑に落ちないことに腑に落ちる

 

松岡:今回の読衆(受講者)の読みっぷり、書きっぷりはどうでしたか?

 

大澤:学生のレポートとは全然質が違って、自分のキズから読書している感じがビンビン伝わってきました。多くの人が、自分の問題とシンクロしていましたよね。文章のなかに、本の内容と自分の問題の両方が入っていて、それが良かった。たとえば、『〈世界史〉の哲学 イスラーム篇』を読むうちに、イスラームは自分の仕事上の問題と関係していると気づいた方がいましたが、すばらしい発見だと思いました。

 

松岡:編集学校を作ったときに大事にしたことの一つは、「みんなにキズをつける」「個人のキズを持ち出してもらう」ということでした。だって、クリエーションとは創(キズ)を造ることですからね。だからこそ、文学者や哲学者はキズを持ち出して思索しているわけです。

 

大澤:僕は高校一年生の頃、日々傷ついていました。家にいるのも辛かったし、外にいるのも辛かった。そのとき、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』を読んだら、立ち直れたんです。ツァラトゥストラが何度か洞窟から立ち上がって下山していくシーンがありますが、そこが響いたんですね。それで今回、大澤真幸賞の副賞に『ツァラトゥストラ』を選びました。

 

松岡:読衆の皆さんはどうでしたか?

 

読衆・戸田由香:モヤモヤがだんだん形になっていくのが面白かったです。

 

読衆・政近岳:ここまで難しい本はほかになくて、なかなか腑に落ちませんでした。

 

大澤:みんな簡単に腑に落ちすぎると思いますね。世界はわけがわからないのだ、と気づくことが世界に近づく秘訣です。世界はフワフワしているんですよ。『〈世界史〉の哲学』は、読者が簡単に腑に落ちないようにしています。別の言い方をすると、僕は自分の読んだ本が腑に落ちないから、『〈世界史〉の哲学』を書いているんです。でも、腑に落ちない本は良い本です。良い本を読むと、腑に落ちないことに腑に落ちる。僕はそのことを書いているわけです。つまらない本については書きません。

 

 

 

若いときは一年かけて読む本があってもいい

 

松岡:大澤流の読書術を教えてもらえませんか。

 

大澤:読書リストは必ずつくるようにしています。それから時間節約のために、精読本、ななめ読みの本というような本のレベル分けはしていますね。深く読む本だと、一週間かけて受肉させるようなこともあります。

 

松岡:一週間くらいかけて精読する経験を積んだほうがいいですね。

 

大澤:若いときは一年かけて読む本があってもいいと思います。精読本に関しては抜書きする手間も惜しんではいけません。

 

松岡:僕はモンテーニュ『エセー』慈円『愚管抄』は30回くらい読みましたが、見え方がガラッと変わることがあります。

 

大澤:それは僕もやります。昔読んだ本を何度も読み返すと、新たな気づきがあります。マックス・ウェーバーを初めて読んだのは大学一年生の夏休みで、それから何度目を通したかわかりません。

 

松岡:大澤さんは読むと書くをどうつなげていますか?

 

大澤:読書しているときには、ひっかかったことを本に書きこみます。書きこむ言葉は幼稚でもいいんですね。ちょっとした書きこみがきっかけとなって、書くときに言葉になりますから。そうやって書いていく快楽は半端ではありません。僕は書いているときが一番機嫌がいいですね。

 

松岡:書くための訓練をどう積んできたんですか?

 

大澤:若い頃に、宮台真司さんたちとひたすらディスカッションした経験が大きかったと思います。そのとき、自明だと思っていることがいかに相手に伝わらないかを痛感しました。自分の考えを誰かにわかってもらおうとするときには、まず相手の考えがわかっていること、あるいは一般的にどう考えられているかを言わなくてはなりません。その上で自分の領域に持っていく必要がある。宮台さんたちと日々話し合うことで、僕はそのやり方を学びました。

 

  [マックス・ヴェーバー, 大塚 久雄]のプロテスタンティズムの 倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

 

★対談前半「【多読SP読了式】大澤真幸×松岡正剛対談(1)西洋と東洋とイスラームの歴史をつなげて語れる人」はこちら

  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。