編集稽古の「問感応答返」は終わらない〜55[守]第2回創守座

2025/06/09(月)08:58
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Q&AならぬQ&E。問い(Question)に対して正答(Answer)に向かうのではなく、問い(Question)から編集(Edit)をかけていくイシスの流儀だ。6月7日に開かれた55[守]の第2回「創守座」は、このQ&Eの編集稽古でのプロセス──「問感応答返」について語る松岡正剛校長のビデオから始まった。

 

創守座は、師範代と師範陣が一堂に会してお題や指南を探求していく場であり、常に別様の可能性を欲しているのだ。映像の6年前の校長は少し早口のよく通る声で言った。

「もっと、“問”と“答”の間に “感”と“応”を入れなさい」

 

本楼本棚の一角に飾られた校長のリトグラフ

 

3Aで新たな意味世界を創造する〜用法語り3

 

創守座のプログラムの中でも、師範陣による用法解説はメインになる。守の4つの用法(1.情報の見方、2.情報の関係づけ、3.情報の構造化、4.情報の表現)に沿ってお題をひもとき、師範代の指南を豊かにすべく道を示す。第二回の今回は用法3、4だが、期ごとに繰り返される語りに同じものはひとつとしてない。過去の講義に再編集をかけて、その時代の新しい見方や語り手のオリジナリティーが加わっていくからだ。

 

情報の構造化に取り組む用法3は、ビジネス人事の第一線で活躍する奥本英宏師範が担当し、まず稽古の目的を師範代に問うた。

 

私たちのアタマも社会もそのままでは硬直しやすい。パターンや紋切り型を避け、固定化した概念や見方を動かして、「新たな意味世界」を創出する。アナロジカルな編集で、ダイナミックに情報を動かすのが用法3の骨法だ。

 

奥本は、「キャリア」という概念が時代のさまざまな価値観──ときに生命工学、ときにナラティブなどと関係づけられ、どんどん変わってきた経験を語る。その“関係を動かすもの”こそ、3A(アフォーダンス、アナロジー、アブダクション)であると伝えた。

 

「3Aは手段であって、型を学ぶのが稽古の目的じゃない。学衆の回答の中には、既存のものに型を当てはめたケースもあるでしょう。そんなとき、いいですね、つながりましたねと返すのではなく、回答に潜む揺れやブレなど動く思考を捕まえて、フィードバックしていくような指南を心掛けてもらいたい。そのためには、師範代がまず自分自身の3Aを働かせながら、学衆の回答の“向かう先”を意識することです」

 

ビジネス現場で培った瞬時の的確な状況判断力と養った編集力を師範活動に活かす奥本

 

モードが意味を変える、文体が内容を決める〜用法語り4

 

用法4では情報の表現を身につける。語り部は、常に意外性を持ち込もうと虎視眈々と狙っている石黒好美番匠だ。講義のタイトルは「編集を文体する」。“文体を編集する”ではなく、なぜ“編集を文体する”なのか。

 

石黒は、孔子と荘子を対比させてそのこころを説く(千夜千冊425夜 大室幹雄『正名と狂言』726 夜 荘子『荘子』)。 

 

孔子の唱える「正名」と、荘子がいう「狂言」は、編集でいえばコンパイルとエディットにあたる。コンパイルは辞書的な定義で、エディットは意図や方針をもって解釈された、時に意外性を放つ“見方づけ”。「狂言」(エディット)は、既存の言葉を無自覚に用いることに揺さぶりをかけてくる。

 

荘子はまた、何かに託して言葉を使った。他人に託し(寓言)、歴史に託し(重言)、その場に託し(卮言)、それを文章術の極意とさえ考えた。自分で書いているとは思わせない文章を最良とする価値観で遊ぶ、それは037番「イシスな文体練習」のモードチェンジにつながるものだと、石黒。

 

「例えば同じ事件でも、ニュースの言葉と女子高生の言葉ではその内容も違って聞こえます。モードが変われば意味が変わる。視点が変わる。文体が内容なんです」

 

メッセージや価値観を文章にするプロセスを通して見方を動かし、自分の概念に変更をかけ、新しいメッセージや価値観を発見していく。書くことの醍醐味はここにあり。文体がそれを可能にするのだ。

 

     本業はフリーライターの石黒。ホームレス支援に取り組む社会福祉士の顔ももつ

 

■らせんを描く「問感応答返」

 

用法語りで奥本は、「3Aを開放するのに遠慮は無用。師範代は妄想、逸脱覚悟で、新しい意味世界を描いていってほしい」と呼びかけた。石黒は、「モード編集で学衆の出来事を見る視点がどう変わったか。指南でぜひ取り出したい」と強調した。

 

学衆の回答にセンサー全開で感じ、応ずる。そのとき指南は、学衆がもつ別様の可能性を開いていくようになる。学衆本人も気づかずに回答に埋め込んでいた「感」や「応」が、カタチをもって浮き出てくる。

 

創守座最後のプログラムでは再び校長のメッセージが流れ、「問感応答返」について、師範代同士でディスカッションの場がもたれた。通常の「問答」(Q&A)と違い、「問」と「答」の間に 「感」と「応」がある意味は何か。“感”を広げるためにどうすればいいのか。

 

編集稽古の「問感応答返」は直線に進むものではない。お題(「問」)には情報の向きがあり、学衆と師範代それぞれが「感」を深くして反応し合えば、「応」のバリエーションはむしろ増える。その過程で実は新しい「問」が萌芽しており、それは、これまで思いもよらなかったものだ。

 

校長は、「編集は世界と向き合うことだ」と言った。問いの立て方が変われば、感じ方も、応じ方も、選択する答えも変わり、返していく場も変わる。「問感応答返」が位相を変えながら、らせん状に連なっていくことで、世界は「世界たち」になる。

 

渡辺恒久番匠と阿久津健師範による指南ワークの様子。師範代たちはセンサー全開で臨む

  • 今井早智

    編集的先達:フェデリコ・フェリーニ。
    職もない、ユニークな経歴もない、熱く語れることもないとは本人の弁だが、その隙だらけの抜け作な感じは人をついつい懐かせる。現役時代はライターとして人物インタビューや住宅分野を手がけた。今も人の話を聞くの大好き。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。