【多読ジム】おねだりグノーシス❤︎1779夜『グノーシス 陰の精神史』

2021/08/27(金)09:17 img
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 面白すぎる、グノーシスの千夜千冊の連打。最近、アマプラ(Amazon Prime)で無料公開されている坂元裕二の「大豆田とわ子と三人の元夫」、続けてみた同じく坂元の「カルテット」もハマったけれど、千夜のグノーシスも同じくらい好き。そうか、西洋にはこの「グノーシス 陰の精神史」があったからこそ、現代にいたるキリスト教を中心とする「光の精神史」を打ち立てることができたのかと腑に落ちた。

 

 グノーシスの何が良いって「世界はいつしか出来そこないになったのではなく、出来そこないなものを『世界』と名付けたのである」というこの見方。だからこそ、「グノーシスは、世界が不完全なのだから完全な理念世界をめざそうとか、地上に神学大全をつくっていこうというプラトン的世界観やキリスト教的世界観に、大胆な注文をつけた」。カッコいい。

 

 けれどもそれよりなにより当夜の『グノーシス 陰の精神史』で一番気になったのは校長の次の3つの予告だ。校長へのおねだり吹き出し付きでご案内(イタリックは引用)。名付けて、おねだりグノーシス。

 

Ⅰ フラジャイル・グノーシス

 『フラジャイル』は25年前の1995年の執筆で、ぼくの思想のかなり大事な視線を束ねて既存のまことしやかな普遍主義に反撃を試みたものであったけれど、神秘主義からのヒントは入れなかった。だから『フラジャイル』にはディオニュソスやデミウルゴスをめぐる矛盾の物語が登場していない。
 けれどももっと根底から普遍主義に対して反撃するなら、ゾロアスター教や一部の仏教や、ヘルメス知やマニ教やカバラやなどの、グノーシス知がいくらでも入ってきてよかったはずだった。そうしていたとしたら、ぼくは「フラジャイル・グノーシス」ともいうべき領域を開拓していたことになる

フ、フ、フ、フラジャイル・グノーシス! 校長、「開拓していたことになる」ではなくて、これは書くべきです。書いてください。お願いします。『フラジャイル』に1章追加して増補版なんていかがでしょう。もしくはグノーシスだけで一冊千夜千冊エディションとか…。「フラジャイル・グノーシス」、心待ちにしております。



Ⅱ タルコフスキーとグノーシス、グノーシス・フェミニズム?

 本書は2冊組の1冊である。岩波が荒井献・大貫隆の編集的監修で『ナグ・ハマディ文書』全4冊を刊行したことを背景に、グノーシス思想史ガイダンスとして刊行された。たいへんユニークな2冊だった。
 このあとざっと紹介するように、上巻にあたる『グノーシス 陰の思想史』では、古代グノーシス主義の先駆例(ゾロアスター教、ユダヤ教神秘主義、キリスト教グノーシス、マニ教)からルネサンス・バロックあたりまでのグノーシス思潮(パラケルスス、ヤコブ・ベーメ、薔薇十字、フリーメイスンなど)を俯瞰している。
 もう1冊の下巻は『グノーシス 異端と近代』となっていて、中世以降の神秘主義やイスラム・グノーシスなどとともに、芸術が引き取ったグノーシス(ゲーテ、ブレイク、ヘッセ、ユゴー)、哲学や心理学が言及したグノーシス(シェリング、バーダー、ハイデガー、ユング、ラカン)、および20世紀文化の中のグノーシス(シュルレアリスム、シュタイナー、シャガール、タルコフスキー、フェミニズム)を摘まんでいる。…できれば下巻もいずれ紹介したい

校長、「できれば」ではなくて、これも絶対千夜してください。「グノーシス 異端と近代」というこういう西洋の見方をぜひ読んでみたいと思っていました。しかもタルコフスキーも…。タルコフスキーとグノーシス…ゾクゾクしてきます。フェミニズム…グノーシス・フェミニズムなんてものが。ヤッバっ。



Ⅲ マンディアルグが自分が最も信頼している思想家・ルネ・ゲノン

 ゲノンについてはあらためて千夜千冊しようと思っているのだが、1910年に「ラ・グノーズ(グノーシス)」という雑誌を創刊したことをここでは紹介しておく。ぼくはピエール・ド・マンディアルグの家を訪れたとき、マンディアルグが自分が最も信頼している思想家はルネ・ゲノンだと何度も言っていたのに驚いたものだ。

これもです。「思っているのだが」ではなくて、必ずやお願いします。へぇ〜、マンディアルグが。そうなんですね。ルネ・ゲノン、知りたいです。Wikipediaにもケッコー詳しく載っていました。「ブラヴァツキーらの神智学や心霊術について批判」したとあるから、このあたりは下巻のシュタイナーとグノーシスの関係にもつながってくるんでしょうね。う〜ん、ますます興味しんしん。


  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:宮崎滔天
    最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
    photo: yukari goto

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。