この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

いや~、1774夜『ディオニューソス』アンリ・ジャンメールは読み応えがありました。これまでの『神秘主義』『占星術』『神秘哲学』と合わせて、四夜ひとつづきの一夜です(もちろん、さらに続くのかもしれませんが)。今回は、ギリシア神話のディオニュソス神を取り上げた一冊です。
★ディオニュソスとは
マニア(熱狂)やオルギア(騒擾)の神
一般的には、ディオニュソスは葡萄酒と酩酊と豊饒の神、非合理性と混沌の神として知られています。僕も存在くらいは知っていましたが、どんな神と聞かれたら、「えーと、たしかワインの神ですよね~」としか答えられませんでした。おそらく同様の方が多いのではないか、と思います。
1774夜によれば、ディオニュソスとは、マニア(熱狂)やオルギア(騒擾)の神です。「人々が酔いしれ、うっかりし、男女の境いをとびこえたくなるときの、そのように埒と不埒の両方をまたぐことになりかねない乱心の萌芽の集大成」としての神です。「ディオニュソスはこれ(騒擾)を大きくして騒然とさせることもできれば、それ(騒擾)を収めて収束することもできた」ので、騒乱の神であり、同時に救済の神でもあります。不思議な存在ですね。
松岡校長は、こうしたディオニュソス像を知って喜んでいらっしゃいます。「ぼくはこのようなジャンメールの解釈に快哉を叫んだものだった。そうなのである。ディオニュソスはまさに『別様の可能性』だけで想像された複相神だったのである」。
これは、今シーズンの多読ジム読衆にはおなじみ(でもない?)
ハドリアヌス帝に愛されて神格化されたアンティノウスの像ですが、
この像はディオニュソスの姿をしています。
★ヒトはそもそも秩序や物語や理性に
収まるような存在じゃない
ここから詳しい説明に突入するのは止めて、僕が1774夜を読んでどう感じたかをお話しします。僕は読みながら、「コロナ禍の日本」を想いました。だって、現在日本には、1774夜の道具立てが全部揃っているからです。
まず、秩序があります。緊急事態宣言、まん防、マスク、アルコール、検温、●●警察…。コロナ禍の日本では、秩序と取り締まりの力が平時よりも確実に強く働いています。僕は基本的にはおとなしくルールを守っていますが、周囲に人の少ない屋外を散歩するときはマスクをしないことが多いんですね、息苦しいから。そのくらいでも、たまに見知らぬ人から睨まれます。日本は本当に秩序を生真面目に守る人が多い国です。
一方で、マニア(熱狂)やオルギア(騒擾)とまではいかないかもしれませんが、夜に集まってお酒を飲んだりするくらいの人はけっこういますね。東京の歓楽街に行けば、いまも20時以降に開いている飲食店があり、ときどき見かけると例外なく混んでいます。店外にも客が溢れて、お酒を楽しんでいます。1774夜には、「ギリシア神話の各地の伝承の語りには、こうしたかなり多くの無名のマニア行動や奇妙なオルギア行為が大量に挟まれていた」とありましたが、コロナ禍の日本も同様です。
たぶん、世界はいつもそうなんです。秩序や物語や理性にはキレイに収まらない無数の存在がおり、無数の小さなマニア行動や奇妙なオルギア行為があったんですね。当たり前です。だって、ヒトはそもそも秩序や物語や理性に収まるような存在じゃないんですから。僕らは常に、秩序や物語や理性からはみ出しています。ただ、それらはあまり語られてこなかった。1774夜は、そういった語られてこなかったものの集大成がディオニュソスなのだ、と暴いた一夜です。さらにいえば、秩序や物語や理性から漏れたものが神秘主義やスピリチュアルにつながっているのだ、ということを書いた一夜です。
★アフターコロナは
新しい祭りを創り出すチャンスかも
ただ、有名人のマニアやオルギアとなると扱いが変わります。いま秩序を乱した芸能人や有名人は、主にネット上で次々にひどい目に遭っていますね。僕の目には、コロナ禍では全スキャンダルがいつもの何倍も強く叩かれているように見えます。とにかく、マニアやオルギアやルール違反がことごとく許せない日本、になっているようです。特にひどく叩かれた人は「贖罪の羊(スケープゴート)」といっていいでしょう。いまのところ、最大のスケープゴートは渡部さんか東出くんか木村花さんか。他にも続々と出てきてますね。彼らはまさに、「日本という集団を精神的に統合するための犠牲者」に見えます。個人的には、現代日本でそんな野蛮なことがあっていいのかな、とすら思うのですが。恐ろしい世の中です。
それから、ディオニューシア祭ではないけれど、やはり古代ギリシアで生まれた祭典「オリンピック」が始まりますね。祭りはマニアやオルギアの極みですが、今回はなんとも分が悪い。これだけ秩序を守らせる力が強い状況で、オリンピックがどこまで盛り上がるのか。祭りの機能をどこまで果たせるのか。ワクチン接種率が高くなれば楽しいオリンピックになるのかもしれませんが、やはり少々タイミングが悪いように見えます。
ただ、コロナ禍が収まったときには、むしろ何か大きな祭りがあったほうがいいんじゃないでしょうか。本当はみんながみんな、自らの心身に蓄積されたマニアやオルギアの種をどうにかしたいんですから。このままスケープゴートを増やすくらいなら、祭りでパーッと気分を晴らしたほうがずっとよいでしょう。もしかしたら、アフターコロナは新しい祭りを創り出すチャンス、なのかもしれません。
僕なりに現代日本を重ね合わせながら、1774夜を読んでみました。皆さんの一助になれば嬉しいです。
米川青馬
編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。