この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

秋から冬への季節の移ろいを感じる11月最後の週末。豪徳寺の編集工学研究所で、輪読座「富士谷御杖の言霊を読む」第二輪が開催された。輪読座はリモート開催であり、全国各地から参加できる講座である。ナビゲーションをつとめるのはバジラ高橋(高橋秀元)。松岡正剛と共に工作舎を立ち上げ、オブジェマガジン『遊』を世に送り出してきたコアメンバーの一人でもある。
トレードマークのハットにタバコをくゆらせるバジラ高橋。
講座が始まるやいなや「世の中の検索システム化」へとバジラ節が炸裂する。
世の中が検索システムになった。検索は自分が知っている言葉しか入力ができず、個人の言語空間はむしろ狭くなっている。
情報回線の利用量は増えているが、コピーが溢れているだけだ。コピーは100万個あったとしても、情報としては一つのものにすぎない。今は、情報過多でなく、情報はむしろ減っている。
未知なものが妙に流通しにくく、孤立しやすい。21世紀はそれを打破しないといけない。情報は知らないことに価値がある。
あらゆる情報へアクセスしやすくなった現代。本を買うのもネットでワンクリックで済むようになった。リコメンド機能も手伝い、情報との出会いは増えているように錯覚するが、「未知」との出会いは減っているのかもしれない。
「未知へアクセスする努力、未知を取り入れる努力を忘れてはいけない」と警鐘をならすバジラ。
座衆への応答にも独特の間合いで魅せるバジラ。私自身、今回が初バジラだったが、その趣きにどことなく神田神保町の古書街にぽつんと佇む古本屋を想いだした。ところ狭しと本が積み上げられた空間。古くなった紙がかもしだす独特の匂い。一見無関係な本同士が隣に置いてあるようで店主の強いこだわりが反映されたキュレーション。並んだ本の隙間に積もったほこりには俗世間と異なる時間の流れ方を感じる。知の巣窟ともいえる雰囲気に背中を押され、名も知らぬ本に手を伸ばすと予期せぬ出会いが待っていたりする。
そんなバジラは自身を”初代”輪読師と呼称する。「輪読座」という方法が何百年先も引き継がれていくと確信しているのだ。
輪読座の門戸は常時、誰にでも開かれている。アーカイブによる視聴も可能だ。次回の第三輪はクリスマスイブでもある12月24日(日)。バジラ高橋を自分へのクリスマスプレゼントにしてはどうだろう。コチラをクリック。
よく見ると足元はサンダル。バジラに冬は関係ない
萩原ヒロキ
編集的先達:荘子。人材業界の会社員として、営業、労務管理、開発、マーケ、海外事業、広報、人材採用、人事企画を求められるまま次々に異動することも、風に吹かれるすすきや竹のごとき受容力の持ち主である由縁か。野口整体、アレクサンダーテクニーク、ゲシュタルト療法、ヒーリングなどの心身に関わる方法を学び、セラピストとしての活動歴もあり。
2000年6月1日に産声をあげたイシス編集学校。奇しくもそれから25年目にあたる2025年6月1日・52破伝習座が開かれた。応用コース[破]の指導陣による方法の学びと継承の場である。13時、イシスの本拠地・本楼の灯りは落 […]
◎速報◎一歩踏み出す構えをつくる【41[花]入伝式・田中所長メッセージ】
照りつける陽射しの強さに、若葉の艶やかな新緑が深緑へと様相を変えていく。そんな兆しを感じる5月の週末、イシス編集学校の師範代養成コースである花伝所の41期[花]入伝式が始まった。師範代を目指す第41期[花]入伝生と指導陣 […]
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。