ディレクションが渦巻く感門之盟リハーサル【83感門】

2024/03/16(土)07:00
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83感門之盟「EDIT TIDE」が目前に迫るなか、イシス編集学校の本拠地「本楼」では3月14日(木)・15日(金)と2夜連続でリハーサルが行われた。夕方から司会者や出演者たちがぞくぞくと本楼にあらわれ、映像・音響・配信等のテクニカルや演出を手掛ける黒衣集団「黒膜衆」も本楼に集結。本番に向けてディレクションの大波小波が打ち寄せた。

 

▲黒膜衆の蒔田俊介は仕事帰りに本楼に直行。スーツ姿でカメラを構えた

 

イシス編集学校の教室でのコミュニケーションは「文字」が基本。だが感門之盟はルールが大きく変わる。語りあり、ビジュアルあり、顔の見える人あり。学林局・衣笠純子は、登壇者に対してオラルコミュニケーションだからこそのカマエを伝えた。

 

「本番までに何度も声に出して、それを録音して聞いてみてください。音だけを聞いて分かりますか、伝わりますか。役者のようにうまく話せとは言いません。でも伝えたいですよね。目の前にいる、あるいはzoomの向こうにいる学衆さんや仲間たちに届けたいですよね。なんども練習して、再編集してください」

 

リハーサルには校長松岡正剛も同席。その場その場で、すぐさま言葉をかけていく。

 

「『わざわざ◯◯から』『なんと!』など飾り立てる言葉を安易に使わない」

 

「初々しくなるな。分からないふりをしてインタビューをするな。もっとアッパーに持っていきなさい」

 

「順番どおりにやらないといけないと思い過ぎている。矛盾も含めてその場に持ち出すようなスタイルを試してほしい」

 

みんながあなたに惹かれたい。だからこそあなたが惹かれているものも、この場で大いに見せていい」

 

「感門之盟というのは、みんなが『そこへさしかかる』んです。さしかかってきたところに、あなたが合わせていけばいい。たとえば向こうから赤ちゃんが歩いてくるとか、子どもが運動会で順番を待っているとか、そういうときはこちらから合わせていくでしょう。『なっていくほうに合わせていく』と、単なる”進行”ではなくなる。ひとりひとりと出会いながらやってください」

 

「(10周年記念感門之盟に感動したという話をうけて)その場で即興でやっているように見せたけれども、ものすごく準備をした。そして本番は準備したものをばあっと捨てた。自分がそこでハッとしたものを使う。そういう感受性を活かしてやったんだけれど、それだって相当な準備が必要なんです。緊張するのもぜんぜん構わない。だけど緊張や困惑も含めて『自分でつくろう』と思っていないとダメ。みんなつくらないんです。すごく横着。普段からもっとやり続けないと」

 

「フロアディレクターやカメラワークの視点で、『ここに立ってほしい』というのは確かにある。でもそれとは別に、与えられた小さな場所でどうするかは自分でつくる以外にない。そこで世界をつくりなさい」

 

▲リハの様子を見ながら、Day1の冒頭挨拶で話す内容をメモしていた校長。これだけ用意をして、当日は捨てる。

 

▲Day1の司会を務める山田細香は、校長からのディレクションを受けたあと書き留めたメモを必死に読み返していた

 

 

本番まで残された時間はあとわずか。それでもイシスの編集の波は止まらない。

 

  • 福井千裕

    編集的先達:石牟礼道子。遠投クラス一で女子にも告白されたボーイッシュな少女は、ハーレーに跨り野鍛冶に熱中する一途で涙もろくアツい師範代に成長した。日夜、泥にまみれながら未就学児の発達支援とオーガニックカフェ調理のダブルワークと子育てに奔走中。モットーは、仕事ではなくて志事をする。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。