多読ほんほん2010 冊師◎おおくぼかよ

2020/08/15(土)10:50
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 切実を切り出さずして、何が思想であろうか。 

 切実に向わずして、何が生活であろうか。 

 切実に突入することがなくて、何が恋情であろうか。 

 切実を引き受けずして、いったい何が編集であろうか。 

 ぼくは思うのだが、われわれはあまりにも大事なことを 語ろうとはしてこなかったのではないか。 

 また、わざわざ大切なことを語らないようにしてばかり いたのではなかったか。 

 良寛の詩歌を読むと、しきりにそのことを思いたくなる。 

 

 

 2010年7月31日、イシス編集学校10周年記念感門之盟。竹芝のニューピアホールでは、2004年に「千夜千冊」1000冊を終えての結論として校長が綴った言葉が、能楽師安田登さんの声で響きます。 

 

 まさにその10周年感門の翌日、アフ感明けからそのまま日曜朝8時に我が家に遊びに来た友人に“昨日”の話を聞いたのが、松岡正剛も千夜千冊も知らなかった私と編集学校との出会いでした。

 

 「怪しい団体じゃないんだけど…」と、怪しげな教室名が満載のチラシを見せながら熱く語ってくれた彼女は、文字通り一皮向けた感じで輝いていたんです。これからどうやって生きていくのか、もやもやしていたタイミングで聞いたソレは、何か「素通りしちゃいけないもの」がチラリと視界に入ったような感覚がありました。

 よくわからないけどこんなに受講料払うのかぁとも思いつつ、仕事に役立つかも、と言い聞かせ、その年の秋から始まった24守に、お試し感覚で申し込みをしてみたのが始まりです。 

 入ってみたら、役立つかも、と思っていたソコ以外にも、もっと奥の「自分が知りたかったこと」に気づかされ続けること10年。世界の奥を覗き見る扉を開けるとまた次の扉が見えてくる、を繰り返しているうちにここまで来ました。 

 

 後から振り返れば、リーマンショックと東日本大震災のアイダと位置付けられるこの年。当時の気分としては、GDPがほんの少し上がり、高止まりの失業率をさておいて、傷跡にうっすらかさぶたができる予感…といったところでしょうか。千夜千冊では連環編で、リスクや金融資本に関する本が連打されていました。 

 

 前回のふくよ師範の2009年紹介に、みゃぁこ冊匠がぽつりと運営ラウンジにつぶやいた言葉が、まさに今の私の肌感覚とピッタリだったので引用させていただいちゃいますが 

 

 >巨大地震もコロナ禍も知らなかったのに、 

 >何を悩むことがあったのだろう、と 

 >今となっては思ってしまいますね。 

 

 まさに。この10年で変わりすぎるほど変わったのですね。スピードも振れ幅もどんどん大きくなり、“わざわざ大切なことを語らないようにし続けて” もう引き返せない「乱世」が出来上がってきたという実感があります。そのタネがあの頃には既に出揃って、どの方向へ進むかのcross pointで掲げられた「乱世の編集」だったのなと。 

 

 

     そんな2010年を語る一冊のご紹介はこちら 

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   『共感の時代へ』ー 動物行動学が教えてくれること 

         フランス・ドゥ・ヴァール 

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 ドゥ・ヴァールは怒っていました。「共感」を失い、崩れていくヒト社会の方法に。そして、動物たちの共感行動の事例を元に、ヒトに元来備わっている「共感」によって人間社会を立て直すことができると希望を投げかけます。 

 マーケティングの世界でもちょうどその頃、「発信」から「共感」へ舵を切り、「共感マーケティング」という言葉が踊ります。 

 さらにこの年、FaceBookを題材にした映画『ソーシャル・ネットワーク』がアメリカで公開されました。つながりを発見するmixi、“今”をつぶやくTwitterに続き、大発明「イイネ」で共感を数値化するSNS、FaceBookが日本にも浸透し、スマホの使用率、個人のインターネット接触率・発信率もぐんと引き上げ、新たなメディアと市場が生まれました。「共感」も商売になるんですね。 

 ドゥ・ヴァールが希望を託した「共感」は、共感が引き起こす行動化(利他的行動)までを含めたものですが、その思いとは裏腹に、その頃の市場では購買行動を誘引する新しいプロセスとして言葉がライトに消費されていきました。マーケティングの仕事をしていて、そこに危うさを感じていたことを覚えています。 

 

 そうそう、映画『借りぐらしのアリエッティ』が公開されたのもこの年で、鈴木プロデューサーはこう言っています。 

 

  人はいつからモノを所有するという感覚を身につけたのか。 

 私たちの世界には、様々な生物が共存共栄しています。本来、生物が生きていく上で境界線など存在しなかったはずです。 

 全て自然の営みを借りて生活していました。自然に寄生して生きているのは人間も小人も同じだったはずなのです。 

 

 「所有」が揺らぐ社会を目の前に突きつけられている今、市場でも改めて「共感」を捉え直す動きを見聞きしますが、結局のところ、答えは自然の中にあるのだろうなぁという印象です。 

 

 “さておいていたもの” を読みのブラウザにして、この場でみなさまと知や体験を所有でなく「共感・交感」していくこと。何も特別な事じゃなく、自然に倣った貴重な当たり前を体験できていること、これ自体が10年前に編集学校が掲げた「乱世の編集」の一端なのだなと、心して交感していきたいなぁと思うのでありました。 

 

 “生命に学ぶ”の体現として蠢き続けて20年、本当におめでとうございます!まだまだ遊ばせてくださいませ。 

 

 では、お待たせいたしました、 

 スタジオ凹凸の景山卓也冊師に2011年のバトンをお渡しいたします。 

 

  • エディスト編集部

    編集的先達:松岡正剛
    「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。