この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

2008年と言えば、9月のリーマン・ブラザーズ経営破綻を発端にして世界的な金融危機にみまわれたリーマン・ショック、それから年末、「Yes We Can!」を掛け声にバラク・オバマが米国初の黒人大統領に当選という、この二大ニュースが世界を駆けめぐりました。
当時の日本の出版を振り返ると、米国の一喜一憂を予測するかのように、年初にしてすでに堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)が刊行され、日本エッセイストクラブ賞、新書大賞2009をダブル受賞。さかのぼること2005年、そもそも出版市場では養老孟司『バカの壁』(新潮新書)、翌2006年の藤原正彦『国家の品格』(新潮新書)以来、新書市場が活況を帯びていました。
この年も、100万部超の新書の大ベストセラーが生まれました。姜尚中『悩む力』(集英社新書)です。姜尚中はこれにて一気にブレイクし、翌年2009年からNHK「日曜美術館」の司会を務めることになります。”韓流のヨン様”ならまだしも、まさか”『在日』のカン様”にまでマスコミがラブコールを送るとは、日韓・日朝関係をこのアジアの片隅からこっそり観察してきた身としては、ちょっと意外な展開でした。そのため、「Chaege」のさざなみに小さくない期待を寄せていたのもまた事実であります。
あまり目立った動向ではありませんが、植木雅俊の『梵漢和 対照・現代語訳 法華経』(岩波書店)と亀山郁夫『罪と罰』(光文社古典新訳文庫)のきわめてチャレンジングな新訳も見逃せません。じつは川上未映子『乳と卵』の芥川賞受賞もこの年で、日本語めぐるひそやかな言語実験が同時多発的に起こっていたことが分かります。それをあたかも察知したかのように、センセーショナルにタイトリングされたある書物が、奇しくも大統領選とほぼ同時期に登場しました。
水村美苗『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房)です。これが今回、取り上げたい一冊です。
多読ジムさながら、本書の言い分をもっとも濃縮している箇所を抜き書きします。「一回しかない人類の歴史のなかで、あるとき人類は〈国語〉というものを創り出した。そして、〈国語の祝祭〉とよばれるべき時代が到来した。〈国語の祝祭〉の時代とは、〈国語〉が〈文学の言葉〉だけではなく〈学問の言葉〉でもあった時代である。さらには、その〈国語〉で書かれた〈文学の言葉〉が〈学問の言葉〉を超越すると思われていた時代である。今、その〈国語の祝祭〉の時代は終わりを告げた」。
詳しくは千夜千冊でも取り上げられているのでそれを読んでいただきたいのですが、水村は自分自身のことを本書のなかでこう説明しています。「私は12歳で父親の仕事で家族とともにニューヨークに渡り、それ以来ずっとアメリカにも英語にもなじめず、親が娘のためにともってきた日本語の古い小説ばかり読み日本に恋いこがれ続け、それでいながらなんと20年もアメリカに居続けてしまったという経歴の持主である」と。
バラク・オバマ、姜尚中、川上未映子、水村早苗、彼らには共通する何かがあるように思えます。ふりかえれば、同時代にして日本も米国も、にわかに社会がアノマリー(異質性)を積極的に受け入れはじめました。彼らの共通点Xとは、そう、ストレンジャーの眼差しです。
グローバル・スタンダードの行き過ぎたレギュレーションが、いよいよ臨界点に達していたからでしょうか。あるいは、次に消費する新しいドラマを紡いでさえくれれば、異人だろうが何だろうが構わないというほどに混乱していたのかもしれません。
米国でレディ・ガガのデビューアルバム「ザ・フェイム」が発売されたのも2008年。日本では、ハリポタの最終巻が刊行され、秋葉原無差別殺傷が起こり、橋本大阪府政が口火を切りました。
ついでに言えば、同じような事象が漫画界でも起こっていました。『Blue』という成人作品を描いて、かつて有害コミック指定(青少年保護育成条例)を受けた山本直樹の連合赤軍青春群像劇「レッド」(2006~2013年)の連載がしだいに人気を博し、なんと2010年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。世間の評価が卒然と逆立ちしたわけです。
このとき、やはりイシス編集学校も大きな節目を迎えていたことを私は知っています。いろいろとありますが、それをもっとも象徴する出来事は、いつでもアノマリー[anomaly]に敬意を払い、アブノーマル[abnormal]とアブジェクシオン[abjection]のアブアブをブレなくこよなく偏愛する、かの吉村リントーがイシスに入門したことです。
だって、そうでしょう。リントーなくして、多読ジムもこの「遊刊エディスト」も、つまりは今日の編集学校はありえません。ですから、みなさん、2008年を思い出すときは、オバマ、リーマン、リントー。オバマ、リーマン、リントーです。ついでに、リントー3Aもお忘れなく。
さて、次回の「2009年」は、私がイシスに入門した年でした。ふくよさんこと福田容子多読師範にバトンをお渡しします。
金 宗 代 QUIM JONG DAE
編集的先達:宮崎滔天
最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
photo: yukari goto
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。