この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「ごみしゅーしゅーしゃでーす!ごみしゅーしゅーしゃでーす!」
本楼中に大きな声が響き渡る。
教室フライヤーのプレゼン中、福井千裕師範代が、椅子を車に、積み木をごみに見立てて、ゴミ収集車ごっこをして遊ぶ3歳児の声を再現したのだ。微笑ましい光景が浮かんだその直後、こう言った。
「椅子は持ち上げるルールでしょ。そんな風に遊んではだめ」
ショッキングな響きであった。その大人の声がけ以来、男の子は大人の顔色を伺いながら遊ぶようになってしまったという。「正しい」ルールや、コンプライアンスに、いつの間にか子どもも大人も縛られ、監視されて、みずみずしい心は干からびていってしまう。
「わたしが子どもたちに手渡したいのは、こんな世界では、ありません」
小学校卒業と中学校入学のアイダに居る、属性が透明な娘さんの写真を使用。「たまたま映った光源が日の出のようにも見えるので、顔の輪郭を地平に、洞窟壁画を地中に見立て、知の古層っぽさを出しました」
教室名発表があったのは、3月21日(祝)の夜。翌日には、師範代たちに「49[守]の入門者を募集するフライヤーを制作せよ」というお題が出された。その後の数日間、師範代たちは辞書をひき、Photoshopの使い方を学び、おにぎりを握った。イコンを捨て、夜中の冷蔵庫を空にして撮り、たくさんの猫に名前をつけた。景山和浩師範と共に「壊す」→「肖る」→「創る」を繰り返しながら、フライヤー以上に変わっていく師範代たちは、まさに命がけで脱皮するザリガニであった。そのフライヤープレゼンが、伝習座で行われたのである。
今期のフライヤーは、全体的に「暗い」のではないか、という評価を受けた。確かにダークな色使いのフライヤーが多かった。が、これはイシスのなかだけでの傾向ではなく、時代も関係しているのだろう。その「暗さ」に、別の見方を持ち込んだのが福井だ。
プレゼンで福井は、ラスコーやアルミタラの洞窟壁画までさかのぼり、ヒトが暗闇のなかで光を見つけたと、かつては境界線を超えた存在に変身できていたと語った。
「正解」が蔓延る社会で、わたしたちは力を奪われている。それを取り戻すための方法がイシスにはある。
「それは守の型だと私は確信しています」
力強く言い切る福井の声の振動が、本楼の空気をびりびりと震わせた。師範代として、49守に挑む覚悟が全身から溢れていた。洞窟に、わたしたちの想像をはるかにこえる場の力があったように、守の教室にも、たくさんの可能性を生み出す力があるのだ。
あなたは子どもたちにどんな世界を手渡していきたいですか。
編集の兆しを感じに、今こそ編集学校へ。
アニマ臨風教室 寺田悠人師範代、きざし旬然教室 福井千裕師範代、赤いランドセル教室 齋藤彬人師範代
嶋本昌子
編集的先達:ハービー・ハンコック。全身ラテンは伊達じゃない。毎週フラメンコのタブラオで踊っていた情熱のお侠師範。流暢な英語を操るバイリンガルだが、気持ちが昂るとナチュラルに関西弁が出る。丸の内朝大学以来の校長のお髭ファン。
49[守]定常コースがスタートして3日目の昼。 まだ自己紹介も始まっていない脱皮ザリガニ教室(古澤正三師範代)の勧学会に、一人の学衆が登場した。「昨日面白い体験をしたので独り言で書いときます」 その体験とは、皿洗いと […]
2022年春、イシスコアを塗り替えた学衆がいた。48[守]板付Bダッシュ教室、宮島広司氏である。 これまでの「最年長学衆78歳」というスコアをなんと大幅に更新し、米寿での卒門を果たした。慣れないパソコン操作に、初めて […]
48[守]の19教室では、113名の学衆が見事、門を出た。4か月の間に、どんな教室体験があったのか。師範によるインタビューによって、学衆の「声」をお届けする学衆インタビューの第4回目、「仲間がいたから」編をお送りする。 […]
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。