2020ETS編集聖火ポスト04 前代未聞の沖縄発見!エディット・アイランド・オキナワ計画始動する(沖縄)

2020/03/10(火)16:01
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 「ISISはIS&IS、人と人」

 イシス編集学校は、人と人とのアイダに生まれる相互編集こそを大事にしているんです。ナビゲート役のイシス編集学校・花伝所所長、田中晶子が語りかける。互いに助け合うゆいまーる(結)の精神が今も生きる沖縄にうってつけの言葉だ。

 

 沖縄在住の師範・師範代と田中所長とのコラボレートによる今回のツアー。「エディット・アイランド・オキナワ」と題して、沖縄県博物館・美術館の実習室で行なわれた。参加くださったのは、Webデザイナー、教員、企画マーケティング担当者、就労支援者、看護師、学生、カフェ店主、紅型職人…と多種多様なみなさん。

 

 前半のワーク「擬なわたし」では、シチュエーション(地)によって変化するわたし(図)を体験。情報は「地と図」を分けてセットでみることが肝心だ。コミュニケーションのすれ違いは、たいてい、この「地と図」がごちゃまぜだから起きる。ちなみに編集稽古だと「わたし」でさえも編集できる。いかようにも言い替えることが、擬くことができるのだ。

 

 

 自分を料理に見立てた自己紹介と「地と図」の稽古で場が温まったところで、後半の「沖縄“そうそう”から“ほうほう”沖縄へ」向かう。ひとりひとり沖縄の好きな場所を集め、並べ替える。3人一組になって持ち寄る。ローカルな珈琲屋、学生の溜まり場、大好きなビーチ…。思い出が場所とともに語られる。情報は場と結びついて記憶されている。編集工学では、この記憶と想起(思い出すこと)を切り離さない。記憶の仕方、想起の方法こそが編集なのである。

 

 

 「前代未聞、未来の沖縄のキャッチフレーズをつくろう」いよいよツアーのクライマックスだ。3人で持ち寄った場所情報から2つを選ぶ。そこにゴジラやランプ、竹笛…ちょっと不思議なオブジェを加えて2+1、3つの情報を結んで編集を興す。

 

 「沖縄でやせろ!アチコーコーアイランド」

 「神に子供の成長を祈り緑に抱かれる場所、沖縄」

 「情熱に燃える、キセキの母なる沖縄」

 「泣ける、はじめる、かがやける」

 「右耳に常識、左耳に混沌。解放するオキナワ」

 

 

 ありきたりでない、今日この場に集ったみなさんだからこその言葉たち。これぞまさに愉快で痛快な編集だ。エディット・アイランド・オキナワ計画いよいよ始動。早くも次回のツアーが待ち遠しい。

 

  • 渡會眞澄

    編集的先達:松本健一。ロックとライブを愛し、バイクに跨ったノマディストが行き着いた沖縄。そこからギターを三線に持ち替え、カーネギーで演奏するほどの稽古三昧の日々。知と方法を携え、国の行く末を憂う熱き師範。番匠、連雀もつとめた。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。