この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

神社にステンドグラスがある。金沢は浮気性だ。金沢の人びとは列をつくってバスを待たない。法規より風習が優先される。
なぜ、金沢は伝統的なものに新しいものを取り入れるのか。あるいは、規則をつくっても旧習を崩さないのはなぜか。よそ者の言葉が、金沢の謎の本質をえぐった。
「鈍感だからではないですか?」
2021年4月4日、エディットツアー『かくれた金沢』が開催された。編集ワークの内容は、これまであまり語られていない“金沢らしさ”を探すことだ。参加者の大半は、東京、愛知、岡山、香川、と県外からであった。旅行ガイド本には載らない金沢の日常的風景から、“金沢らしさ”を掘り起こしていく。
“金沢らしさ”のステレオタイプといえば、城下町の風情があり、和の趣をもち、美術工芸が盛んな町、というものだ。その背後には、金沢独自のカラーマネジメントがある。たとえば、主に加賀友禅や九谷焼に代表される5色の伝統色「加賀五彩」。加賀五彩は、海や山に囲まれた豊かな自然と恵み、曇りがかった北陸特有の気候、加賀百万石の武家文化を映し出す。しっとりと落ち着いた色調を映えさせるための「白」の使い方にも妥協しない。金沢は色で「らしさ」を飾りつけ、雅な世界を築いてきた。
よそ者の注意のカーソルは、“雅”というステレオタイプをよそに、金沢にひそむ鈍感さを突いた。
中川は知っている。鈍感と指摘されても、金沢は余裕綽々なのだ。加賀百万石の末孫はあくまで、武家の精神性や技芸の文化のなかに自分の存在の質を求める。しかし、それもまた「金沢の鈍感力」という見方を裏付ける。金沢を深掘りするエディットツアーは、余計なところに行きついてしまった。
(写真提供:金沢市)
中川将志
編集的先達:デヴィッド・ボウイ。地域おこしと教育に情熱を燃やす、金沢のスターマン。サッカーで鍛えた脚力と小技を編集に生かす。愛嬌とマイペースと逃げ足の速さでは、他の追随を許さない。
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。