見知らぬ花を見つけたら…? もう物語は始まっている。【ツアー@破】

2021/02/11(木)15:00
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「物語の本質は広い意味での「紛糾」(complication)である。
その解きほぐしと解決(resolution)である。」
千夜千冊577夜『物語論辞典』より

たとえば、「部屋に入ろうとしたら、ドアノブが無くなっていた。」といったことが起こる。どうしてそんなことが起こったのか? その謎、不可解な事態ははどのように解決されるのか? 物語とは、このように紡がれてゆく。


その一端に触れてほしいと企画した<エディットツアー[破]応用コースの方法に迫る!>。ISISフェスタ「エディットツアースペシャル(ETS)2021春」の一番手として、2月7日(日)に、オンラインで開催された。

 

今回のナビゲーター:植田フサ子45[破]評匠が、緊張気味の参加者10名をエスコートする。「自己紹介のために、本を1冊用意して下さい。1分で!」の声に、全員が本を取りに走る…あっという間に戻ってくる…40秒かかっていない。本をよすがに、自分の興味や、いま気になっていることを手短に話す。植田の温かな受けとめと、多彩な返球に場がほぐれてゆく。

 

続いて、この日のメイン、野嶋真帆45[破]師範による「物語編集ワーク」に入る。そこにあった「調和した状態」が破れ、「不調和、紛糾」が起こる。そして「新たな調和」の状態になるのが物語の基本型なのだ。日常の“小さな破れ目”がお題として提示される。

 

  「自分の家の庭に見知らぬ花が咲いている。」
  なぜそうなったのか…? そしてどうなるのか…?


参加者は、[守]のお題にあった「IF・THEN型」のアナロジーを駆使し、もっともらしく、かつ面白い、理由や展開を考える。


「植木屋が間違えて植えていった」
「小人の仕事→次の日には小さな花壇ができていた。」
「最近よくくる鳥が運んできた。→好みの庭を作ろうとしている」


いかにもありそうなリアリティのある理由、ファンタジーの世界に遊ぶ展開が次々に披露される。

 

野嶋は語る。物語はこのように、なにか語りたくなる特異性をはらんだことから始まる。噂が広まるのはそのため。しかしそれが共同体のなかで流通するには「語る価値」と「語り方」が必要である。[破]ではそのための「型」を学ぶのだ。

 

最初にかかげた千夜千冊577夜『物語論辞典』に戻ろう。物語の本質は「紛糾」であり「その解きほぐしと解決」であると聞けば、実にシンプルで簡単そうだ。しかし、そこにはたくさんの階層や部分や要素があり、それらを関係づけるたくさんの手法があると続く。[破]では、そこを実践してゆく。

 

一人ではできない。師範代や仲間の学衆という「読み手・聞き手」がいてこそ、物語の「作り手・語り部」となることができる。人類が古代から駆使しつづけてきた物語という方法を、実践できるのが[破]。物語編集は、また文体編集でありクロニクル編集であり、プランニング編集でもある。あなたの持っているイメージや、まだ言葉になっていないメッセージを、物語というカタチにする方法を手にしてほしい。

 

参加者の進破への期待が高まった様子がZoomの画面ごしに伝わってきた。4月には、今日のメンバーと46[破]で再会できるだろう。

 

  • 原田淳子

    編集的先達:若桑みどり。姿勢が良すぎる、筋が通りすぎている破二代目学匠。優雅な音楽や舞台には恋慕を、高貴な文章や言葉に敬意を。かつて仕事で世にでる新刊すべてに目を通していた言語明晰な編集目利き。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。