【イシス祭@島根】地味で「ないもの」ばかりの編集ですが

2020/09/06(日)16:22
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 「地味」の「地」には本来備わっている性質の意味があり、「味」は趣きの意味がある。
 島根は地味だ地味だと言われるが、それは日本の本来があると言い換えられるのかもしれない。島根エディットツアーオンラインでは、島根出身の景山和浩番匠、夫が島根安来の出身の増岡麻子師範代が地味たっぷりに編集の本来を語った。
 
 
 エディストでの予告記事にあったように、島根といえば遊ぶところがない、若い人がいない、テレビチャンネルも少ない、知られていないの「ないないづくし」だと言う。「何もあんましぇんわ」と地元の人も自虐的に言うらしいが、何もない島根(実際には出雲大社も松江城も宍道湖も美しいが)は「編集」を考えるには、最もふさわしい場所だと言えるのだ。
 
 今回の島根エディットツアーでは島根にあやかり、「私は●●でない都道府県である」と自己紹介ワーク、他の家にはなさそうなものを集める「ないものフィルター」ワーク、「ないもの」の地を変えて素晴らしいものとして言い換えるワーク、「ないこと」をネーミング編集するワークを立て続けに行った。まさに「ないものづくし」である。そして、ワークを担当したのは島根には何の縁もゆかりもない上杉公志師範代である。もともと話せない、しまらない、メリハリがないと言う「ないものづくし」であった上杉であったが、「ない」ことをバネに貪欲に編集の鍛錬を積み、ワークショップを依頼されるまでになった。Mr.オネスティと呼ばれる実直さはそのままに、島根に少しでもあやかろうと神楽鈴を賑やかに振った。
 
 島根は引き算県、「ないもの編集」発祥の地。景山は胸を張った。増岡は石見銀山の店舗の包装紙、出雲和紙、八雲記念館のリーフレットで壁を飾り、島根愛を表した。オブザーブ参加をしていた鈴木康代学匠も「ないものの力をあらためて感じた」「編集の本来を思い出した」と島根にひとしおの愛着を感じたようだった。「根の国」といわれる島根。「国譲り」をした島根。イシスの師範として支え続けてきた景山と多読ジム冊師としてたゆまぬ編集道を歩む増岡の風姿は、参加した全ての者の居住まいを正す機会となった。
  • 吉村堅樹

    僧侶で神父。塾講師でスナックホスト。ガードマンで映画助監督。介護ヘルパーでゲームデバッガー。節操ない転職の果て辿り着いた編集学校。揺らぐことないイシス愛が買われて、2012年から林頭に。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。