ぎょっとして指南の先の世界かな   ―師範代が見た51守伝習座

2023/07/22(土)08:00
img POSTedit

 51守師範代の一人、一倉の伝習座に向かう足取りは重かった。開講以来、ずっと漠とした不安が拭えないでいたのだ。学衆の回答は日を追うごとに充実し、教室では共読が進んでいる。それでも、自分は師範代としてこれでいいのか、もっとするべきことがあるのでは、と自問する日々だった。師範代としてのカマエを正される伝習座では、怒号の指南があるのではないかとコワカッタのだ。

 

 伝習座で最初に語られたのは、康代学匠による「世界から切り離されていないことに気づいてほしい。」というメッセージだった。


普段の「わたし」は世界と自分を切り離している。
守の方法は、日常から、公園から、カブキから、
世界がつながっていることを実感としてもってほしい。
ぎょっとするものにこそ、可能性がある。

 ぎょっとする指南せよと言われ、周りの師範代もぎょっとした顔をしている。
 とはいえ、これまでをふりかえると、師範代生活にも慣れ、自分が出来る枠の中での指南をしがちで思い切った挑戦ができなくなっていたかもしれない。

 

「見立て」のお題の指南ワークをレクチャーする渡辺恒久番匠、堀田幸義師範、阿部幸織師範

 

「こんな回答がきたら、どう解釈する?」
 指南ワークでは、師範代同志があれこれ見立てを交わす。学衆はお題を読んでから、どんなプロセスを経て回答に至ったのか。ふと、学衆時代の自分の蘇る。場の緊張した空気感もほぐれ、注意のカーソルの動きが自由になってきた。たくさんの「わたし」がむくむく戻ってきたようだ。一倉は、師範代としての「わたし」でしか、世界とつながっていなかったことに気づいたのだ。

 回答から指南にたどり着くまでは一つの旅だ。
 学衆の回答は秘密の基地(Base)で、師範代はそこから指南というTargetに向かっていく。師範代としての目線、学衆の目線、その他の目線。注意のカーソルをぐるぐる動かし、地と図を入れかえ、大きくプロフィールを動かす。一倉はふと、最近読んだ千夜千冊を思い出した。


ある発達段階までは常に自分の視点から見える風景が人形にも見えると考えるが、
発達段階が上がるにつれ人形の視点で見える風景を想像できるようになる。
自己中心性の認識枠組みから他者の視点の獲得へと発達が進む
(千夜千冊1817夜 『ことばの理論 学習の理論(上下)』 ロワイヨーモン人間科学研究センター)

 

 多様な注意のカーソルを持つことは、人間の発達プロセスの段階とも重なる。「自己中心性の認識枠組み」を取り払う瞬間には、なにかしらの「ぎょっ」とすることが必要なのだろう。

 指南では、学衆の眼前に見えている道をなぞるだけではなく、思いきり横道、脇道に踏み込んで、別の枠組みを示してみるべきではないだろうか。
 それこそが「なんだ、この道は?」と、学衆を「ぎょっ」とさせる。そこに価値感の転換が起こり、学衆の認識の枠組みがガタンと外される。だからこそ、新しい「世界」・新しい「わたし」に出会えるのだろう。

 

師範代は回答に至るプロセスの見方や指南方針を交わし合う

 

 6月の末は夏越の祓。日常生活を過ごしている間についてしまった、穢れや災難を祓い清める。
 何かを振りはらうように、凝り固まった「わたし」がほぐれた一倉の目には、集まった51守師範代らの多様な注意のカーソルが、新しいステージに向かうべく、一途になって立ち上がるように見えた。

 

 束ねてはひとつになりて夏祓

 

(文/一倉広美
 編集/石黒好美)

  • イシス編集学校 [守]チーム

    編集学校の原風景であり稽古の原郷となる[守]。初めてイシス編集学校と出会う学衆と歩みつづける学匠、番匠、師範、ときどき師範代のチーム。鯉は竜になるか。

  • 週刊キンダイ vol.005 ~ ハンシがゆく ~

    乱世には理想に燃える漢が現れる。    55[守]近大番に強い味方が加わった。その名もハンシ。「伴志」と書く。江戸時代の藩を支えた武士のようであり、志高く新時代を切り開いた幕末の志士のようでもある。近大番が、 […]

  • 週刊キンダイ vol.004 ~近大はマグロだけじゃない!~

    マグロだけが、近大ではない。  「近大マグロ」といえば、全国のスーパーに並び、飲食店で看板メニューになるほどのブランド。知名度は圧倒的だ。その名を冠した近大生だけの「マグロワンダフル教室」が、のびのびと稽古に励むのもう […]

  • 週刊キンダイ vol.003 ~マグロワンダフルって何?~

    日刊ゲンダイDIGITALに「本屋はワンダーランドだ!」というコラムがある。先日、イシス編集学校師範の植田フサ子が店主をする青熊書店が紹介された。活気ある商店街の横道にあるワンダーランド・青熊書店を見つけるとはお目が高 […]

  • 週刊キンダイvol.002 ~4日間のリアル~

      「来週の会議、リアルですか?」  そんな会話が交わされるようになったのはコロナ以降のこと。かつて会議といえば“会議室に集まる”のが当たり前で、わざわざ「リアル」などと断る必要はなかった。 だが、Zoomなど […]

  • 週刊キンダイ vol.001 ~あの大学がついに「編集工学科」設立?~

    3年前の未来予想図が現実になった?! 大学の新学科として「編集工学科」が新設。 千夜千冊は2000夜間近、千夜千冊エディションは35冊目が発売。 EdistNightなう〜3年後、イシスは何を?(2022/02/25) […]

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。