この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「痛みを抱えて進め」
10月初めに行われた50[守]第1回伝習座、師範の相部礼子の言葉を覚えている50[守]新師範代は多いだろう。むしろ、教室が始まったからこそ、その意味を噛みしめているのかもしれない。
伝習座での用法語りを相部はフライヤー発表で生まれた新師範代の「創(きず)」への言及から始めた。発表前の緊張から解放されたのも束の間、本楼の指導陣からの厳しいエールに新師範代は背筋を伸ばした。そこに、前期49[守]速修コースでの師範代登板経験を持つ相部の言葉。近視眼に陥っていた新師範代のアテンションはグッと4ヵ月後に向かった。
イシス編集学校の[守]基本コースの用法1の基本は「注意のカーソル」だと相部は言い切った。日頃、「注意のカーソル」は無意識に動き回り、情報をあつめていく。無意識とはいえ、「注意のカーソル」には好奇心や興味関心がまとわりついているものだ。だからこそ、編集稽古の回答には学衆それぞれの数寄が垣間見えるのだ。001番の「コップは何に使える?」でも同様。シンプルなお題ながら、多種多様な回答が集まり、無色透明だった教室が色づいていく様子に声をあげる師範代も多い。
情報を「わける・あつめる」ことを学ぶ[守]の冒頭のお題では、この「注意のカーソル」を意識的に動かしていくことを学ぶ。そうすることで、学衆は情報の見え方が変わることを実感し、イメージの広げ方を知る。私たちの「注意のカーソル」はマーケティングなどを通じて実は「誰かに乗っ取られている」と言える。「奪われた注意のカーソル」を取り戻し、束縛のない自由な状態に自らを置くためには、「注意のカーソル」の動きに意識的になることが大前提だ。そのために、師範代たちが回答にくまなく目を通し、「注意のカーソル」の動きの痕跡を探し、指南を通じて学衆に返していくのだ。
学衆の回答から見える注意のカーソルの動きを感じ取ることは002番の指南だけではない。全ての編集稽古に通ずる。目先のことに捉われず、全体を見て進め。相部の用法語りは教室が始まり、指南を届け始めた今こそ味わい直したい。前に進むためにこそ、振り返る。50[守]を加速させていくためにも新師範代たちはフィードバックループを回し始めている。
佐藤健太郎
編集的先達:エリック・ホッファー。キャリアコンサルタントかつ観光系専門学校の講師。文系だがザンビアで理科を教えた経歴の持ち主で、毎日カレーを食べたいという偏食家。堀田幸義師範とは名コンビと言われ、趣味のマラソンをテーマに編集ワークを開催した。通称は「サトケン」。
オテンバが点呼を待たずに飛び出した。 2025年5月12日12時。55[守]の18教室に田中優子学長からのメッセージが届いた。石田利枝子師範代がすかさず先陣を切り、斜線オテンバ教室に登場する。学林局の開講案内に先んじ […]
AIに他者はいるのか。 12月1日(日)に実施された第2回創守座のお題語りを締めくくり、番匠の石黒好美(アイキャッチ画像)は54[守]師範代に問いかけた。イシス編集学校[守]基本コースの用法4は「きめる/つたえる」に […]
用法3でコップに出会い直す? 聞いていた師範代たちは虚を突かれたはずだ。 12月1日(日)、第2回創守座が開催された。第1回番選ボードレールの締切の翌日。頭に多分に熱を残し、火照ったままの54[守]師範代が本楼で、 […]
数寄は人生のスパイスだ。その対象が何であれ、数寄は世界を彩り、その香りで人々を惹きつける――。54期[守]師範が、「数寄を好きに語る」エッセイシリーズ。カレーをこよなく愛する佐藤健太郎師範が只管に歩き続け […]
リスクも不確実性も見たくない。だから、小さく分解し、分散する。では、見えなくなったらなくなるのか。 新NISAの導入以来、賑やかな個人向け投資の世界では、卵を一つの籠に入れず、時間と空間でリスクを分散さ […]
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。