大感門司会リレー〜桂&浦澤はラストのその先へと駆け抜ける〜【84感門】

2024/09/17(火)18:30
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  1.  第84回感門之盟「番期同門祭」司会リレーのラストを担ったのは、桂大介・浦澤美穂のお二人。
     35[守]学衆も[守]の師範も同じタイミングの編集仲間で、2019年に開催された全国エディット・ツアーでは、浦澤担当の広島ツアー桂が参加するなど場の交わし合いはお手のものだ。

桂師範は突破式の玄々書授与の出で立ちから早替わり。真っ赤なジャケットにFRAGILEと刻まれた黒ネクタイが光る。花鳥更紗紋様の衣装に包まれた浦澤師範は、広島から5年ぶりの感門之盟参加である。

 

 2020年から2024年は、コロナによるパンデミックのために編集学校でも教室仲間で集う汁講や稽古修了を祝う感門之盟でリアルに集まることが叶わない日々が続いた。その渦中で松岡校長は新たな方法の模索を呼び掛けた。

 

 「止まっている今こそ新しいものを生み出せ」
 「沈んでいるときこそやろうというのが編集だ」

 

 その結果、映像やハイテク機材に明るい黒膜衆が結束し、メディアの力を底上げしたハイブリットな感門之盟を実現させるなど編集の場の新たな可能性を広げていった。その上で、本来いつも「そこにいること」を重視してきた校長は、ここ数年リアルに会えない不足を抱えてきたからこそ、編集学校25周年を機に「この場所に居合わせること」を願い「番期同門祭」を設えたのだった。

 

 

 期せずして校長の不在で迎えた大感門の場につどい、この空気をともにした人たちと共有したい想いを、二人は緩急自在に引き出し、問い掛けていく。

 

「この瞬間の裂け目で新たなお題をいただきましたね」
「コロナ禍のころ、松岡校長は“心のマスクをはずしなさい”と時代に即したメタファーで私たちにメッセージを発信していました。では、松岡校長の不在をどう引き受けていくか」
(三匠鼎談)

 

「“大きな仕事は必ず反復していく”ということ。これから25年先、100年先を見据えていけば、今は新たな一年目で、一人ひとりが松岡正剛の“パウロ”になって反復する使命を背負っているのだという気づきがありました」
「“面影はリアルよりも私達を鼓舞する”というメッセージを聴き、松岡校長の面影を背に校長がびっくりするようなことをしてみたいと思いました」
(大澤真幸・ラストメッセージ)

 

 

有言実行。
外部からの視聴参加可能なイベントに刷新される指導陣勉強会「伝習座」で、桂は左大臣、浦澤も五人囃子の一員として参加の予定だ。イシス編集学校のこれからを担いアクティブに駆け続ける二人にいっそうの期待がかかる。

 

※イシス編集学校ネオバロック化の口火を切る伝習座(9月28日開催)の申込みはこちら

  • 細田陽子

    編集的先達:上橋菜穂子。綿密なプランニングで[守]師範代として学衆を全員卒門に導いた元地方公務員。[離]学衆、[破]師範代、多読ジム読衆と歩み続け、今は念願の物語講座と絵本の自主製作に遊ぶ。ならぬ鐘のその先へ編集道の旅はまだまだ続く。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。