【83感門】壁が生み出す新たな潮流 ─51[破]のエディット態度─

2024/03/19(火)15:15
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第83回感門之盟「EDIT TIDE」の2日目。突破を寿ぎ出世を祝うその場で、51[破]の秘密が明かされた。

 

指導陣は昨年10月の開講の時点で、これまでとは異なるTIDE(態度)で臨むべく、師範代にお題を課したというのだ。

 

回答例にワークシート。晦渋なお題に向かう学衆のために、師範代は創意工夫を凝らしてきたが、[破]には本来このようなわかりやすい手摺りなどなかった。わからないままに進み何かを超える歓びを、学衆から奪っているのではないか。

評匠 高柳康代

 

高柳評匠の言葉を端緒に、51[破]は学衆のための壁を作ることを決意した。

 

編集稽古に手本はいらない。個人がなんでも調べることができてしまうこの時代。師範代自らが学衆の壁になるしかない。

番匠 福田容子

 

 

 

[破]の潮目を変える。これを引き受けた師範代は学衆の回答の不足を見逃さなかった。不足に潜む可能性を信じ、その意図は明かさず伏せたまま問いを重ね、推敲と再回答を求め続けた。

 

世の中はわかりやすい方へばかり向かい、全てに答えを用意しようとする。正解を消費するだけで成立してしまう社会で、わたしたちがうっかり失っているものがあるとしたら、それは何だろうか。

 

やさしくするのは簡単だ。厳しくすることにはリスクが伴う。師範代は学衆がついてこれるか確信をもてないまま進んだ。このTIDE(態度)は51[破]になにをもたらしたか。突破した40名は見えない断崖を超える歓びを、師範代は編集稽古という方法への確信を得た。

番匠 福田容子

 

 

師範代は何の「代」をし、何を引き取ったのか。校長の松岡正剛は、この場に舞ういくつもの「さしかかり」を見守っている。

 

最後に福田番匠は、千夜千冊1844夜『腸と脳』エムラン・メイヤーの一節をひいてこう訴えた。

 

情報は脳から腸に向かうのではない。腸で起きたことが脳に届き認知される。確信を待つのはやめなさい。確信は半信半疑のまま進んだその先にあるものだ。

 

エディットな態度で振る舞いをただす。そこから生まれる潮流(TIDE)のなかに編集の奥義が渦巻いている。51[破]が獲得したわからなさへの確信は、まもなく船出をむかえる52[破]師範代へ受け渡された。この船に同乗する学衆は、半信半疑のまま、師範代という壁との遭遇に向かう。

 

写真:福井千裕

 

 

第52期[破]応用コースの申込みは4月7日(日)まで!

稽古期間 2024年4月22日(月)~8月11日(日)
お申込み https://es.isis.ne.jp/course/ha

 

  • 阿部幸織

    編集的先達:細馬宏通。会社ではちゃんとしすぎと評される労働組合のリーダー。ネットワークを活かし組織のためのエディットツアー も師範として初開催。一方、小学校のころから漫画執筆に没頭し、今でもコマのカケアミを眺めたり、感門のメッセージでは鈴を鳴らしてみたり、不思議な一面もある。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。