シビルきびる教室の「いないいないばあ」――【82感門・後日談】

2023/09/29(金)17:51
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 ああ、これは師範からの挑戦状だな。

 師範代はすぐにピンと来た。

 感門之盟が終わってすぐ、シビルきびる教室(佐土原太志師範代)の勧学会に、角山祥道師範から突然、お題が届けられたのだ。感門之盟のテーマの「Edit demonstration」に即して、それぞれが感じた「悪魔級」「怪物級」の心の動きを3つのキーワード(キーセンテンス)&200字以内の創文で記せ、という。感動でボーッとしているのに、悪魔の師範は手を緩めない。

 

 挑戦状に真っ先に応えたのは、すでに[]に進むことを決めている福地恵理さんだ。感門之盟初日の「ほんのれんBAR」に登場した学衆だ。福地さんは「感」「門」「盟」の意味をもどき、自身と重ねて見せた。ならば師範代は、「指南」を返さねばならない。

▲感門之盟「ほんのれんBAR」に登場した福地恵理さん(ZOOM映像より)

 

■師範代から進破する君へ

 

「今こそ編集モンスターを出しなさい」

 

【感】――心が震えた第82回感門之盟のテーマは「Edit demonstration」。松岡校長は、ここでの「モンスター」とは不足やイレギュラーさ、均等さを壊す能力、逆に言えば特定の分野で優れた能力を指すと語った。「顕わるもの」と「隠るるもの」は同時にみなければならない、むしろデュアルなのだと。ならば私たちの内に潜む隠るるもの=モンスターに出会う必要がある、「今こそ編集モンスターを出しなさい」というメッセージは心が震えた。

 潜んでいるもの、自分では持ち出せないものを言おう、書こう、表そう。そうか、これが「編集モンスター」に出会う方法だったのか。

 守の4か月は、「今まで知らなかった自分」、伏せられていた「たくさんのわたし」に出会うプロセスです。私たちは知らないうちに、すでにモンスター=未知の自分に出会っていたのでしょう。

 福地さん、新しい旅(破)の用意はできたようですね。

 

「いないいないばあ」

 

【門】――境界の境となる出入り口。隠されたモンスターをあらわにするには、「いないいない」をして「ばあ」、つまり伏せて開けること。どういうことなのか? 例えば「編集は不足からはじまる」もその一つだ。すべてのものは「不足」によって意味を成し、社会化により失われていった情報の足りない部分を補完しあい、統合していくことがまた新たな意味や文化を創出していくということなのだ。とすると、モンスターの出現は編集の始まりを担う門出なのかもしれない。

 あ、福地さんが「わからないこと」に書きながら向かっている。炭酸水のように意味が湧いている。それに、跳んでる。見事な編集的跳躍、天に上る竜のようなアブダクションです。松岡校長が「いないいないばあ」とネーミングして伏せたものに見事に応えましたね。

 「いないいないばあ」に必要なのは、きっと、「いないいない」で、ここに何かあるぞ、あるぞと注意を向けさせることなのでしょう。そして「ばあ」する。そうだ、指南は「いないいない」を届けることなんだ。

 

「不即不離な編集と本の関係」

 

「問い」と「本」と「対話」の力が、思考を刺激し、創発を促すコミュニケーションのハブとなる「ほんのれん」でのお話。「1000冊の本によって、さまざまな人生に出会える」。“伏せてあけて”を繰り返す過程で出会う本は、人生の中で大きな存在になる”という言葉が心に響いた。編集力を手にした私たちと新たな可能性を切り拓く重要な存在である本との不即不離の関係を知ることは、編集状態をこれからも止めないという【盟】を感じた時間だった。

 そうか、福地さんは本を介して自分の体験を語ったからこそ、見えて来たんだ。交わす意義を、言葉にする意味を、福地さんから教わりました。

 

 いま、51[守]が開講して間もない頃を思い出しています。お題001番「コップは何に使える?」の指南に真っ先に感想をくれたのは、福地さんでしたね。「時間の許す限り、1回答ごとに振り返りの振り返りをしてみたい」というリバース・エンジニアリング宣言でもありました。

 思えば、教室の回答も勧学会の投稿も、私にとって「いないいないばあ」でした。何が隠れているのか、何が「ばあ」されようとしているのか。それを考えるのが楽しくて、指南は遅くなってしまいましたが……。でもこの「エディティング・モデルの交換」の時間は、至福の時でした。ああ、俺はこれがしたくて師範代になったんだ!

 切実な投稿に、自分が心震える気持ちをどう表したらいいのか。実は正直、毎回言い淀みました。指南が遅くなった理由のひとつです。

 今ならわかります。最初に、こう伝えれば良かったんだ。説明はその後だ。

 

「福地さん、指南感想をありがとう。感動で胸が震えています。嬉しいです」

 

 ようやく今、手渡せました。ありがとう。

 

 感門之盟はいわば、「編集状態を止めないと盟する機会」であると、福地さんは切り取りました。

 これって、師範代やシビルきびる教室の仲間にも向けられてるよね? 「編集を止めるな!」って。止めないよ、立ち止まっていたら、カワルことができなくなるから。

 

文・アイキャッチ/佐土原太志(シビルきびる教室師範代)
編集/角山祥道

 


●編集を終えて

 [守]の師範代は、開講時、教室名のフライヤーを作る。アイキャッチに使ったのは、佐土原師範代がフライヤーのために描いたイラストだ。「シビルきびる教室」をこんな教室にしたい、という思いが描かれている。フライヤーのボディコピーで、佐土原師範代は「自分の中にありながら見えなかったものを発見する」場が教室であるとうたったが、その通りの教室になった。


 

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。