この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

第81回感門之盟に「前説edit」なるコーナーが出現した。「感門に前説!?」と訝る方も多いだろうが、前説は角山の悲願だった。
今回の感門では2年振りに本楼に学衆が集ったが、人数は限定され、オンライン参加者のほうが多い。今では当たり前になった、リアルとオンラインのハイブリッド開催だ。
だがリアルとオンラインのあいだには、深い溝がある。リアル参加者と異なり、オンライン参加者は「自分ごと」として会を捉えにくい。画面を覗いている空間と、本楼の空間とがうまく混ざらないのだ。
はたしてそうだろうか?
リアルとオンラインは混ざらない、と勝手に既成事実化し、編集することを怠っていたのではないか? 「エディトリアリティ」は、私たちは編集可能な世界にいる、ということだ。だったら、自分たちで感門之盟を編集すればいい。
感門之盟を編集するのは、司会でもプロデューサーでもない。「参加者すべて」だ。ではどうやって? 例えば、ZOOMに映る部屋そのものを着替えてみる。チャットに声を書き込んでみる。こうした編集的行為が、感門之盟を特別なモノに編集する。
今だから明かすが、「前説edit」は、「参加者同士で遊ぼうよ!」という密かな編集宣言でもあったのだ。
「前説edit」の初日は「初参加の声出し」を中心に、2日目は「チャット稽古」を持ち込んだ。
2日目のお題は、テーマの「律走エディトリアリティ」にならっての一種合成だ。
【チャットお題】
あなたの稽古模様を [「 」+走] の一種合成で表現してください。
感門開始30分前の号砲に、オンライン参加者が動く。初回答は出題のわずか1分後。50[守]厳選タングル学衆の<集時走>だった。すかさず角山が画面越しに呼びかけると、一気にチャットが熱を帯び始めた。
闘走、闇走、遊走、渦走、隙走、豪走、謝走、妄走、灼走、念走、読走、恋走、啼走、想走、笑走、燃走、射走、焦走、尽走、卵走、多走、窓走、冊走、撮走、弾走、終走、還走、沈走、P走、有走、締走……。
30を超える回答が次々と寄せられたのだが、参加者はそれにとどまらない。
49[破]唐傘ダムダム学衆の<遊走>には感嘆の声がチャットに溢れ、50[守]厳選タングルの川村眞由美師範代の<灼走>には「師範代は学衆を燃やす!」との合いの手が飛んだ。
同音異義語の多い漢字は、音の響きが他の意味を引き連れてくる。
49[守]で師範代を務めた寺田悠人の「恋走」は、編集への恋心だけでなく「連想」と重なった。50[守]代々ビオトープ学衆の<笑走>は、稽古の楽しさだけでなく、音が「焦燥」も想起させ、それが他の回答<焦走>を引き寄せた。ショウソウは「傷創」とも書く。笑走&焦走で創(キズ)をつけるとは、まさに編集稽古ではないか。
間違いない。
チャット稽古を通じて、ZOOM参加者たちは「感門編集」を敢行していたのだ。一方的なインストラクションは編集ではない。双方向に、かつ参加者自らが場を動かすことが編集だ。「前説edit」で相互に声を発したことで、会は編集され、「自分ごと」となった。
▲本楼の片隅で「前説edit」に挑む角山。ZOOMの声が、前説をさらに勢いづけた(画像提供/松井路代)
松岡校長は、読書には「読前」「読中」「読後」があるという(『多読術』)。読んでいる最中(読中)だけが読書ではない、ということだ。この「前・中・後」は、イベントも同様だ。最中だけでなく、「前の編集」という編集余地がある。「前説edit」はその試みのひとつだった。
では「後の編集」は?
そう、これはあなたに委ねられている。「前説edit」があるならば、「後説edit」があってもいいのだ。例えば勧学会で感門のキーワードを書き出してみる。 [「 」+走] を学衆同士でやりあってみる。参加できなかった学衆が、参加者をインタビューしてみても面白い。
会が終わったあとでさえ、「編集」は可能なのだ。エディトリアリティ=編集的現実は、あなたに編集されることを待っている。
角山祥道
編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。