この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

インターネット上の稽古場に50[守]学衆の声が届かなくなって10日が過ぎた。次期に受け渡すものを交し合っていた師範のラウンジももうすぐ幕を下ろす。卒門式の師範代メッセージには、メモリアルな期を走り切った充実がみなぎっていた。50[守]の勢いを引き継いで51[守]も走りだし、24日には50[破]の稽古が始まろうとしている。
新たな扉を開くはなむけに、50[守]20人の師範代の言葉で描いた稽古絵巻をお届けする。
この4カ月は、目を覚ましながら夢を見ているような時間だった(とれもろドローン教室:高本沙耶)。自分が味わったお題と向き合う楽しさを伝えようと、「楽しく」を一番のキーワードにした(釣果そうか!教室:稲森久純)。
それぞれの教室では、互いの回答と指南を共有しあう。そこから気づきや創発が生まれ、足し算ではなく掛け算の学びが興った。教室で一番学んでいるのは師範代だ。師範代というロールの力と学衆の胸を借りて、たくさんの可能性が引き出された(ここいら普門教室:大塚剛史)。聞こえてくる声にただただ耳をすました。みなさんのエンシオスが広がっていったかけがえのない時間だった(50gエンシオス教室:田中志保)。もどかしい時間の中でらせん状の何かができていた。何になるかわからないものの変化を見ていくのが楽しみになった(止観エンドース教室:遠藤健史)。
師範代として伝えたいことがあっても、回答がないと指南は書けない。回答「したい」学衆がいないと伝えられない。お互いの「したい」があってこそ(柑橘カイヨワ教室:得原藍)対話が成立する。教室で一言交わすだけでもこんなに大きな影響を与えあっていることに気づいた(参画さしかかる教室:三浦一郎)。みんなが互いを思いあって、応じあって、ぐるぐると回転する教室になった(厳選タングル教室:川村眞由美)。師範代は空っぽの器になって回答を受け止めた。お題と回答と指南が詰まった器がビオトープになった(代々ビオトープ教室:森川絢子)。お題や周りの回答を通して自分の視点が更新され、変化して、さらに学びたいと感じたのではないか(ミネルバ・ロードス教室:黒田領太)。
「モモ」のように聞き上手な師範代になろうとしたが、教室にたくさんの「モモ」がいた(モモめぐむ教室:中村裕美)。38題の回答が終わったあとで自主稽古が始まった時、教室に編集の神様が舞い降りてきたと思った(外骨ジャーナル教室:山下雅弘)。師範代は回答にアフォードされて師範代になっていく。方法に目覚めてしまったからには、生きている限り編集していくしかない(ダルマ・バムズ教室:小野泰秀)。
日常の中に型を見つけて情報を動かす、それを互いにやるとスピードが上がる。そこにワクワク感が生まれる(異次元イーディ教室:新坂彩子)。稽古で感じた編集の自由自在さを、これからもじっくり体感して、体現していってほしい。未知の奥へ進んでほしい(みちのく吉里吉里教室:林愛)。私たちには、自分が認識している以上にパワーがある。色彩豊かな言葉を持っている(カッパらくらく教室:川上有鹿)。
終えていく感覚をもったときに苦しくなる。編集を終えてはいけない。編集はトランジットから始まる(悠阿弥アメリ教室:仁禮洋子)。始めるのは一人だが、一人ではゆきづまる。めげない気持ちをまわりに宿して贈与的関係を築こう(歓察めげない教室:恩田偉志)。今だから、「人」が編集することが大切なのだ。今こそ編集、今こそ冒険(アスレ・ショーコ教室:紀平尚子)、これからもずっと編集しようぜ SAY!GO!(傑作ペパーランド教室:西村洋己師範代)
◆夢中の稽古と師範代に出会える51[守]へ
[守]基本コース(51期)
2023年5月8日~8月20日
https://es.isis.ne.jp/course/syu
石井梨香
編集的先達:須賀敦子。懐の深い包容力で、師範としては学匠を、九天玄氣組舵星連としては組長をサポートし続ける。子ども編集学校の師範代もつとめる律義なファンタジスト。趣味は三味線と街の探索。
イシス編集学校九州支所「九天玄氣組」は今年20周年。発足会を行った9月の彼岸をめざし、周年事業を進めている。軸となるのは「九州の千夜千冊」を冠した雑誌の発行だ。松岡正剛の千夜千冊から選んだキーブック1冊ごとに33冊のグル […]
8年近く続いた黒潮大蛇行終息の兆しが報じられる中、イシス界隈に、これまでにない潮流がおこっている。 松岡正剛の「千夜千冊」をキーブックとし、「九州の千夜千冊」を冠した雑誌づくりが動き出したのだ。 イシス編集学校の九州支所 […]
本から覗く多読ジム——『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』【ニッチも冊師も☆石井梨香】
少し前に話題になった韓国の小説、ファン・ボルム『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(集英社)を読んでみました。目標を持つこと、目指す道を踏み外さないこと、成功することや人に迷惑をかけないことに追い立てられている人々が、書店と […]
[守]講座の終わりが近づくと、決まって届く質問がある。「教室での発言はいつまで見られるのですか?」 インターネット上の教室でのやりとりがかけがえのないものだということの表れだ。見返すと、あの時のワクワクやドキドキが蘇る。 […]
組員も驚愕する「年賀」はなぜ生まれるのか【九天玄氣組年賀2023】
支所に名前がつく前から、数えて今年で18年。九州支所九天玄氣組(以下、九天)は、松岡校長に年賀を届け続けている。 なぜこれほど続いているのか、なにが彼らを駆り立てるのか、組員と組長に聞いた。 受け取り […]
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。