この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

麻雀の世界には「安牌を切る」という言葉がある。リスクを避ける立派な戦略のことだ。しかし、イシス編集学校では無難な安牌を選ぼうものなら、たちまち渦は大きく、私たちに襲いかかってくる。
アガサ・クリンシティ教室(上原悦子師範代)、ナイーヴ朋楽教室(廣瀬幾世師範代)、ネクスト・キャンドル教室(土居哲郎師範代)、空耳ラブレター教室(山口奈那師範代)の4つの教室が7月13日のリアルとオンラインを繋ぐハイブリットの53[守]合同汁講にむけて、師範代はBPT、ルル三条、ダンドリ・ダントツの型を使い、フルスロットルで準備を進めてきた。
静かな水面のように穏やかな前日の夜。代本板を学林局に借りるお願いを八田英子律師に入れた。代本板とは、学校の図書室などで本を抜いた後に入れ、返却場所の目印となる板状のもので、明日のワークで用いるのだ。
これで今日のダンドリはおしまい。師範代の誰もがそう確信していた。八田律師のメッセージが届くまでは。「過去の師範代は『代本板』に代わるツールを手作りして汁講に持ってきてくれたこともありましたよ。手作りするもよし、学林局のものを使うのもよし、です」。
イシスの女神からのお題に、頭を抱えながらも手を止めないのが師範代である。画用紙を手にする者、お菓子箱を工夫する者、クリアファイルの塊を両手にコンビニと自宅を往復する私。師範代がそれぞれの代本板を手に「いざ本楼へ」。
前半の合同ワークでは名札の色ごとに分かれての、2つのワークを用意した。まずは無作為に選ばれた2冊の本の共通点を探し、本楼の壁一面、天井まである本棚から仲間になる本を探す。
▲八田律師による本楼ツアー
迷いながらも学んだばかりの型を使い、本楼を彷徨う学衆たち。用意された本とにらめっこする者、書架の前でしっかり本の中身を吟味する者、表紙で即決する者。それぞれのお稽古風景が表れている。どんな情報でも見方を変えれば必ず対角線を引くことができる。こうして見つけた本を取りだせば、ぽっかりと隙間が空く。そこに誇らしげに収まるのはあの手作りの代本板だ。
▲「代本板」になった53[守]全18教室のフライヤー
一見無関係な情報でも、見方を変えれば“対比”の情報が潜んでいる。それを意識できれば、松岡校長発案の編集ゲームの「ミメロギア」を使ったワークの始まりだ。
「オノマトペを使ってみよう」「〇〇さんの言葉をお借りして…」「合作にしませんか?」と、フルスロットルで思考は止まらない。言葉が響き合い、いくつもの潮流が本楼内の温度を上げていく。今日が初対面。教室を超えて、年齢もばらばら。しかし、型と編集術という共通言語を手にしている学衆たちには、それで十分なのだ。編集を体現していく学衆達の姿がなんとも頼もしい。
▲教室を超えて編集談話する学衆たちとナビゲートする4師範代
後半の教室汁講では、空耳ラブレター教室は2階で茶話会モードの汁講を楽しんだ。
▲オンライン参加も一緒になって日頃の編集稽古について語り合う
帰り際、学衆Yさんが階段を降りながら、壁に貼られた53守師範代が作成したフライヤーをみて、「師範代ってなんでもできるんですね」と笑いかけた。そこでハッとする。
そうか、私たち師範代は「なんでもできる」のではなく学衆の為なら「なんでもする」のだ。汁講の準備のダンドリも、前日の工作も、当日のディレクションも。すべてが学衆に編集を味わってもらいたいという一心なのだ。
「安牌を切る」なんて言っていられない編集の世界。私たち師範代は、次々と立ちはだかる問題に「なんでも」挑戦し、乗り越えていくが、挑み続ける姿を、学衆に直接見せることはないだろう。
もうすぐ「番期同門祭」が幕を開ける。53[守]の最後まで、全身全霊で「なんでもやる」師範代達の姿を見ていてほしい。
文・写真・アイキャッチ:山口奈那(53[守]空耳ラブレター教室師範代)
写真:阿曽祐子 若林牧子
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。