「世界たち」をつくる師範代 ー手がかりは「きめる/つたえる」 ー【53[守]伝習座】

2024/08/01(木)12:08
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品行方正を言いはる「世界」は普遍性を抱え、一方の、好き勝手に走りがちな「世界たち」は個別性を放つ。二つのセカイの出来ばえは、同じようにセカイを相手に何かをあらわしているようでも、別々の特徴を発揮する。別々のロジックや別々の感情で出来ている。

われわれはついついセカイはグローバルな「世界」だけだと想定してしまうけれど、「世界」に屈しない「世界たち」はいくらでもありうるのだ。

別日本で、いい。』(松岡正剛編著/春秋社)

 

 人の世はいささか住みにくい。ルールが固定化され、拘束された「世界」はとても窮屈だ。イシス編集学校は違う。既存のルールにとらわれず、自由自在に連想し、発想力を高め合うのが「世界たち」だ。子どもだけがもっていた秘密基地のような別世界だ。そのための編集装置が、見たこともない教室名である。

 さて、5月に開講した53[守]の「世界たち」はどうだろう。松岡校長がつけてくれた「世界」ではありえない教室名を活かし、別世界をつくれているだろうか。「世界」のありものの言葉だけを飾り、社会化された「わたし」に引き戻されてはいないだろうか。

 新しい「わたし」に着替え、教室という新たな「世界たち」をつくる方法は、6月15日の本楼で開催された53[守]第二回伝習座に潜んでいた。伝習座とは指南の方法を伝え習い、編集的世界観に踏み込むためのリアルな場である。校長の「きめる/つたえる」の中にヒントが散りばめられている。

 番匠の阿曽祐子が語る。「松岡校長が手掛ける近江ARSでは、「世界たち」の一つである近江からセカイを語りなおしている。そのためには既存の滋賀ではなく、古代近江から連想シソーラスを幾重にも膨らましている」。守の用法4は、「連想シソーラス」という型から入る。シソーラスを広げ、情報を多彩にすることは、既存の見方や言葉からいったん出ていくことである。そこから編集をかけていかなければ「世界たち」へ向かうことはできないのだ。

 

 

 守稽古のトリを飾る型は「編集八段錦」だ。編集八段錦とは情報がステージングされ、アウトプットに向かうためのプロセスのことをいう。「近江ARSでは編集八段錦のプロセスまるごとを見せている」と阿曽が語る。「世界」のアウトプットの方法は観衆に完成されたものを見せる一方通行のものが多い。しかし松岡校長の方法は近江の「世界たち」が変容していく様相ごと観衆に見せるというのだ。観衆の思考をドギマギさせながら、知らぬ間に観衆も演出に巻き込んでいく。

 



 番匠の景山和浩は言う。「同じように師範代もプロセスごと見せながら学衆と高め合う教室でよいのです」と。言葉を噛み締め、師範代たちが頷く。そして景山は「教室のターゲットはその教室ならのものであり、だれも達したことのないものです。用法4の型を使って世界たちを創り出す深い稽古を目指そう」と力強いメッセージをこめた。

 

 

 

 

 伝習座が終了し、黒膜衆・衣笠純子が呟いた。「わたしは映像を通して松岡正剛の方法を語っていく」。黒膜衆はカメラのフィルターを通し、参加者の表情や声、ノートに文字を走らせる指先、場が変容する様相を逃さない。壇上にあがる登壇者のこわばった顔だって和らげ編集してくれる。人と場が変容していくプロセスまるごとを映す衣笠も、松岡に肖って「世界たち」の演出に一役買っているのだ。

 



 

 53[守]は「きめる/つたえる」ための用法4に入った。用法4はありものの言葉から脱するためのお題だ。師範代が学衆とともに型を実践していけば、言葉が変容していくダイナミックな稽古体験となるだろう。教室には「世界」とは異なるルールが存在するからだ。他者の回答は覗いてよい、相互に発想力を高めあうというルールだ。ありものの言葉から脱出し、53[守]の言葉の潮流を発生させよう。そして新たな「世界たち」をつくろう。

 

(文/53[守]師範 紀平尚子、写真/福井千裕)

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。