この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

感門之盟や伝習座などのイベントで、テクニカルのすべてを担う黒膜衆。いわば彼らは「イシスで起こる全事件の目撃者」である。その黒膜衆のひとりであり、今期41[花]で花伝師範を担う森本康裕が53[守]伝習座に見たものとは。
黒膜衆ならではのレポートをお届けします。
師範代は細部に宿る。
移り変わる季節を感じさせる満開の桜に誰もが足を止めた2024年4月6日、第175回伝習座が豪徳寺の本楼で行われた。
伝習座は師範代、師範含めてそこに集まる全員の相互編集による一座建立の場であり、開講に向かうためのピットでもある。感門之盟の翌日から高速で登板準備をしている師範代達が本楼にピットインする。黒膜衆は師範代の表情から指の先にまで注意の
カーソルを向かわせ、場に揺蕩う緊張感と煥発する編集をキャッチする。
師範代の研鑽の場とも言われる伝習座だが、師範代もただインプットするだけではない。イシス編集学校校長 松岡正剛から託された教室名をフライヤーという形でアウトプットする。今まで少し遠くに見えていた校長が目と鼻の先で自分の発表を聞いているのだ。これは学衆では味わえない感覚である。
軽トラックの上からあらわれる菅原誠一師範代、水の音を流す小泉涼葉師範代、それぞれの+1編集が見られたほか、溢れる「感」を抑えきれない師範代もいた。多彩な師範代の姿はカメラ・スイッチング・音声・配信の四位一体で捉えられ、本楼のモニターとZoomにも届けられる。画面越しでも伝わる師範代の緊張感は、境界を1つ越えた証でもある。小さく大きい舞台で自身の編集を示した師範代達は、氷がゆっくりと水になるように表情を和らげる。
続くは師範である。一言も逃すまいとする視線を受けながら師範が話し始める。師範達の用意はリハーサル日の夜遅くまで、そして、当日の本番ギリギリまで続いた。言わば表には出てこない編集である。しかし、卒意には用意が必要であり、そこに師範の妥協は一切ない。それぞれの師範の「らしさ」はリハーサルからあらわれる。壇上での動き方や目線、身振り手振りに至るまで全てひっくるめてリハーサルであり、その様子を見て黒膜衆も動き方を変えている。
師範達のリハーサルは伝習座の直前まで続く
尽くされた用意と場で生まれる卒意は師範代にどう受け取られたのか。言葉はなくともカメラは捉える。一心にメモを取る手の動き、真剣な眼差しと頷き、真っ直ぐ伸びた背筋、前のめりな姿勢、その風姿は上々の師範代ぶりである。これは本楼にいる師範代に限ったことではない。映る画面は小さくともZoom越しでも同じである。
黒膜衆のカメラは師範代の超部分を捉える
師範代の姿は言葉だけにあらわれるのではない。振る舞い含めて師範代である。18名の師範代は教室名を纏いながら気持ちも新たに次のフェーズへと向かう。
★第53期[守]基本コース
稽古期間:2024年5月13日(月)~2024年8月25日(日)
申込はこちら
森本康裕
編集的先達:宮本武蔵。エンジンがかかっているのか、いないのかわからない?趣味は部屋の整理で、こだわりは携帯メーカーを同じにすること?いや、見た目で侮るなかれ。瀬戸を超え続け、命がけの実利主義で休みなく編集道を走る。
指南とは他力と共に新たな発見に向かうための方法です。豪徳寺が多くの観光客で賑わっていた2月22日。14名の参加者がイシス編集学校花伝所のエディットツアーに集い、編集ワークやレクチャーを通して「師範代」というロールの一端 […]
コミュニケーションとはエディティング・モデルの交換である。イシス編集学校校長の松岡正剛が27年前に執筆し、先日増補版が刊行された『知の編集工学』の中で論じていたことである。コミュニケーションは単なる情報交換やメッセージ […]
自分の一部がロボットになり、強大なものに向かっていくかのような緊張感や高揚感を覚える。ガンダムか攻殻機動隊か。金属質で無骨なものが複数の軸を起点にしながら上下左右に動く。漫画や小説、アニメで見聞きし、イメージしていた世 […]
「異次元イーディ」という教室名の原型は[破]にあった。 番選ボードレールも折り返しを迎えた1月4日。異次元イーディ教室の汁講で師範代の新坂彩子から明かされた。 稽古のやり方やかける時間など、学衆が気に […]
[守]の風物詩である番選ボードレールは餅つきだ。教室に差し出されたお題に対し、学衆と師範代が回答と指南を繰り返すことにより作品が完成する。 もち米を置いたままにしていたら硬くなる。双方のリズミカルなやりとりが肝である […]
コメント
1~3件/3件
2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。