汁講は編集縁日 仲見世の先に架かる橋とは 50[守]伝習座 NEXTプランニング

2022/12/14(水)07:45
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学衆が編集世界の奥を覗くことができる特別な機会。そのひとつが「汁講」だ。

 

オンライン稽古の空間からいっとき離れ、師範代という「編集的方法」の存在をリアルに感じる。そこでは、編集の型をつかった「相互編集」が起こる。

 

50[守]第2回伝習座で、堀田幸義師範は汁講を「節供」に喩えた。

 

 

編集学校にはいくつもの設えがある。師範代が設えるもののひとつとは汁講だ。汁講を季節で喩えるなら「節供」。日常の編集稽古をケとするなら汁講はハレの日。橋の向うへ誘う汁講にするにはどうしたらよいか。

チーム 遊わく走 堀田幸義師範

学衆にとって汁講は、hereとthereの間に架かる橋の存在を知る瞬間でもあるのだ。


■汁講を相互編集の場に仕立てる
汁講をプランニングするのは師範代だ。教室の「与件」をベースに汁講のターゲットを描く。プランニングには「不足」の発見も必要だ。編集はいつだって思ってもみなかった別様の可能性に向かいたがっている。

 

「与件」や「不足」が見つけにくいのなら、なにかのモデルに肖ればいい。

 

 

汁講を『見立て日本』の「見世」に喩えてみる。

 

師範代が見世番となり、編集的方法を陳列する。学衆は、これぞと思う引札を取り、師範代からその日限りのお題を受け取る。それは、「見世」の不足を編集するお題かもしれない。

 

汁講を「見世」に喩えて語る阿部幸織師範

 

「不足の発見」=「ないもの」フィルターで情報を集める

企画やプランニングは、「何が足りないか」ということに着目することから始まる。「不足の発見」は、編集を起動させるための大きな契機になる。【003番:部屋にないもの】講義編より

 

堀田師範は過去にこれを実践した。47[破]万事セッケン教室の師範代だった堀田は、ファッションに疎いという自分の「不足」を編集の起点にし学衆に自分の「見世着」の編集を委ねた。

 

学衆はこれまでの稽古で手にした型を使って、師範代に編集をかけたのだ。

 

 

■汁講になにを「持ち寄る」か

汁講はもともとなにかを持ち寄るもの。自分のなにを持ち出すか。その教室ならではのネーミングをして、新しい汁講を仕立ててほしい。

チーム 晴コウ・雨どく 佐藤健太郎師範

 

 

 

学衆による「見世着」編集の実践例を受け取った師範代は、それぞれに汁講のプランニングを始めた。教室のワールドモデルからなにを持ち出すか。そこにどんなモデルを重ねるか。

 

20もある教室が、それぞれにしかつくれない「見世」を開けば、そこには新しい「仲見世」ができるだろう。日々の稽古から少し外に目を向けて、編集的方法で交わし合う。そこは縁日のような空間だ。

 

「仲見世」の先にはどんな橋が架かるだろうか。それは50[守]のわたしたちだけが、渡ることのできる橋だ。

  • 阿部幸織

    編集的先達:細馬宏通。会社ではちゃんとしすぎと評される労働組合のリーダー。ネットワークを活かし組織のためのエディットツアー も師範として初開催。一方、小学校のころから漫画執筆に没頭し、今でもコマのカケアミを眺めたり、感門のメッセージでは鈴を鳴らしてみたり、不思議な一面もある。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。