この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

12教室96名で開講した50[破]は、8月13日、76名の突破をもって終了した。突破率79%、近年まれに見る大勢の突破者誕生だ。最近では40[破]65名、47[破]60名以来の快挙である。猛暑日の最多記録がつづき、冷房していても暑いという声も聞こえるなか、学衆・師範代とも集中をきらさない稽古ぶりに編集にかける本気をみた。
[破]では、文体、クロニクル、物語、プランニングと4つ編集術を学ぶ。最初に学ぶ文体編集術を土台として、さまざまな世界と対峙し、そのなかに新たな関係を見出し、自分の見方を仮説したり、メッセージしたりするのが[破]の稽古である。基礎となるのは文体編集術、松岡校長流の文章術だ。世に文章術、文章表現のハウツーは多いけれど、イシスの[破]は唯一無二の型を伝授する。実用的にも夢幻的にも使える方法が、シンプルなお題で学べる。こんなところはほかにないと自負している。
先月(2023年7月)に刊行された『松岡正剛の国語力』には、こんなことがあかされている。
国語力の獲得には「なり・ふり」を感じること、ZPDのように自己の発見よりもむしろ他者との出会いを実感すること、未知の領域で「埒をあける」ことが重要である。
国語の「なり(成り)」とは言葉の由来のこと、「ふり(振り)」は言葉のふるまいのことだ。[破]の稽古でいえば、伝えたいメッセージにふさわしい言葉を選び抜くこと、言葉のつながりや対応関係に敏感になることといえるだろう。
ZPDとは(Zone of Proximal Development)のことで、幼児の「発達の最近接領域」だ。幼児が何かを「わからない」から「わかる」ようになる、「できない」から「できる」になる。そのあいだにある「埒(zone)」である。幼児は発達段階的に知覚領域と認識を広げていって「自己」を獲得するのではなく、自分と他者、自分と世界にランダムに出会っていくなかで、あるとき一挙果敢に「自己」を確立するという説だ。
[破]でいえば、非日常的な問い、興味のなかったモノゴトの歴史、なじみのない本や映画に、始めはよそよそしく出会う。だんだんとつきあっていくうちに、一挙に関係を結べる「ワカル」時がくる。未知の領域に「埒」をあけていけるように、お題と教室という仕組みがあるのだ。わたしたちは、子どもが自己を確立するように、いまからでも新たな国語力、実のところは「編集力」を獲得できる。
どんな本であれどんな文章であれ、そこからはそれなりのZPDや埒を感じることができるはずで、とくに国語力においては「意味の街並み」や「意味の埒」が成立する範囲に気づくようになることが、かなり効果的なのだ。
『松岡正剛の国語力』(p254)
[破]の稽古は、幼児が世界と自己を「ワカッタ」する方法にも似ている。師範代や師範が何度も言う「書きながらメッセージを発見する」「書いているうちに書きたかったことが見つかる」というのは、未知の領域で「埒」をあけるということだ。わからないながらもお題に向かい、外に情報をとりにゆき、コンパイルを重ねてみる。自分の言葉で言い換えて、自分なりにピンとくるたとえにしてみる。するといつか「これだったのか!」と埒があく。
わかりきった世界から出たいけど、未知の世界のよそよそしさがこわいという人は多い。突破したみなさんは、4か月の稽古を経て、埒をあける方法を手にした。臆することなく憧れの未知の世界へ向かってもらいたい。
<追伸>
突破した学衆には松岡校長の『知の編集工学』が贈られる。実は来月増補版が刊行され、カバーも新しいデザインが準備されている。校長のポートレイトバージョンはレアアイテムになる。
原田淳子
編集的先達:若桑みどり。姿勢が良すぎる、筋が通りすぎている破二代目学匠。優雅な音楽や舞台には恋慕を、高貴な文章や言葉に敬意を。かつて仕事で世にでる新刊すべてに目を通していた言語明晰な編集目利き。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。