この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「今から2分間、お互いに意見出し合って!」。
伝習座のプログラムに必ず織り込まれる指南語り。先達の指南モデルに真似ぶこの一コマを担当した師範の嶋本昌子が突如、聞き手の師範代たちにボールを投げた。ポカンとする間もなく、師範代たちは、嶋本のディレクションに応えてワークを始めた。ターゲットは、学衆の可能性を見つけていく指南を見つけることだ。無茶ぶりかと思いきや、あっという間にいくつかのキーワードがあがった。
師範代が預かる教室は、生き物と言われる。10名近い学衆たちが稽古を繰り広げるその場は、常に変化し続け、何が起きるか誰にもわからない。加速し過ぎて転倒することもあれば、オーバーヒートして摩擦が起きることもあるし、季節の変化に伴って急に調子が狂うこともある。師範代というもの、教室に起きるどんなことも進んで引き受ける特性をもつ。急に降り注いだワークに応答する構えは、師範代という覚悟そのものだ。
伝習座の後は、錬守に突入だ。師範代と師範がチームを組んで、本番さながら、いや本番以上に、指南三昧の9日間を送る。この濃密な錬守期間で、師範代という覚悟に加速が重ねられていく。
「気分は錬守ダイバーでまいります!」と齋藤彬人師範代の意気が揚がれば、福井千裕師範代は「回答がくると1分でもはやく送りたい気持ちになりますね」と胸を高鳴らせる。「楽しいとやっちゃいますね。暗中模索もまた楽し」と小松原一樹師範代がひたむきに進む。再登板師範代も加速に余念がない。相部礼子師範代は、早朝の通勤電車の中から2指南届ければ、野住智恵子師範代が「ワタクシも、早速に指南に向かいます」と呼応する。
「お子様ご入学おめでとうございます!」と宮坂由香師範代は、期間中に子どもの入学式へ出向く総山健太師範代と新井和奈師範を送り出した。未知への希望に目を輝かせる子どもに、自らの姿を重ねた。総山師範代は「入学式は編集稽古そのもの」と早くも公私混同状態だ。外のモデルに学んだ二人のアクセルは止まらない。錬守期間を終えた翌朝には「何度も指南が楽しい~と、感じました」と大塚信子師範代の声が響き渡った。
松岡校長から直々に教室名をもらってから一か月経たぬうちに、師範代たちは船に乗り込む。いよいよ、49[守]という大海原へ出航だ。師範代は、どんなダイブも受け止める用意十分だ。後は、あなたの決意のみ。
阿曽祐子
編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso
「近江ARS TOKYO「別日本があったって、いい。――仏はどこに、おわします?」からちょうど一年、近江ARSが、書店を舞台にその姿をあらわす。大垣書店の京滋3店舗で近江ARS『別日本で、いい。』ブックフェアが開催され […]
【多読アレゴリア:群島ククムイ】霧の向こうの青・碧・藍・翡翠色の海
名もなき船長からのメッセージではじまった2024年冬の群島ククムイの航海は、3つの島めぐりから成る。 島は言葉を求め、言葉は島を呼び寄せます。 島々への航海は、だから変異する言葉のはざまをめぐる航海でもあります。 「音 […]
生きることは霧とともにあること――今福龍太『霧のコミューン』発刊記念ISIS FESTA SP報告
あの日、本楼を入る前に手渡された和紙の霧のアンソロジー集には、古今東西の先達の言葉が配されていた。多彩なフォントの文字たちのなかで、水色の「霧」が控えめにその存在を今も主張している。 ISIS FESTAスペシャル「 […]
死者・他者・菩薩から新たな存在論へーー近江ARS「還生の会」最終回案内
近江の最高峰の伊吹山が雪化粧をまといはじめる12月、近江ARS「還生の会」は、当初の予定の通り最終の第8回を迎える。日本仏教のクロニクルを辿りなおした第6回までを終え、残りの2回は、いまの日本を捉えなおすための核となる […]
霧中からひらく新たな「わたし」――今福龍太さん・第3回青貓堂セミナー報告
「写真をよく見るためには、写真から顔を上げてしまうか、または目を閉じてしまうほうがよいのだ」(ロラン・バルト『明るい部屋』より)。第3回目となった青貓堂セミナーのテーマは「写真の翳を追って――ロラン・バルト『明るい部屋 […]
コメント
1~3件/3件
2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。