種蒔きの汁講・芽吹きの番ボー―48[守]

2022/01/07(金)15:22
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 10千暮、キジムナー、mso、まるこ、どろんこ。師範代大濱朋子のディレクション通り、48[守]点閃クレー教室のZoom汁講は編集ネームで入室することからスタートした。本当の名前の当てっこが始まる。回答の印象と初めて見る学衆の佇まい、鍵と鍵穴がカチャリと合う瞬間である。お互いに「初めまして」のはずなのに「お久しぶり」と言いたくなる不思議な懐かしさ。緊張していた顔が徐々にほころんでいく。

  「師範代、すごいっ!うまいっ!」。ワークに入る前に「ちょっと失礼」と画面から消えた大濱の再登場に歓声があがった。大濱の背景の黒板に、漱石と鴎外のイラストごと『インタースコア』P272~273の「MIMELOGIA」が再現されていたのだ。

 「ミメロギアやってみましょ」と戸惑う学衆をよそにいたずらっ子の顔になった大濱が促す。番匠の若林牧子も「ミメロギアの醍醐味は、まったく異なる情報が結びつくこと」と煽る。ここまで用意されたら拒否するわけにはいかない。学衆たちは出されたお題に必死で食らいつく。制限時間は5分だ。

ついでのUSJ・だんぜんのTDR

キリストのクリスマス・神様のお正月

踊るビール・舞う赤ワイン

 

 「言葉の揃いがいい」「もっと削げる」「まだまだ言い換えられる」--全員が同朋衆になりきっての講評会では檄が飛び交う。「自分の数寄が一番大切。だけど他者の目も少し借りよう」。第2回番ボーを見据えて大濱が焚きつける。

 「ところで、指導陣のみなさんは、眠れているのですか?睡眠時間はどうなっていますか?」。学衆Mがかねてから抱いていた疑問を口にした。2か月の間、モンスターのごとく昼夜を問わず教室に登場し、ずっと面白い指南を放ち続ける師範代に驚きを隠せない。指導陣は「回答が届くからできる」と頷きあい「みんなもやってみればわかる」と微笑んだ。

 大晦日もお正月も編集稽古は止まらない。第2回番ボーのラリーが始まったのだ。汁講によって用意十分の学衆たちが師範代の指南の卒意を掻き立てる。もちろん学衆同士の相互共振も起きている。「Kさんの編集方針を参考にしながらペースあげます」「みなさんの回答を共読して、ぐっと視野が変わった」「まだまだ遊び心が足りない」。 

 どんな作品が生まれるだろうか。エントリー締め切りは1月9日だ。

 

汁講開催日:2021年12月18日(土)
参加学衆:河野智寿、古山華代、増尾友明
     大濱朋子師範代、若林牧子番匠、師範阿曽祐子
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  • 阿曽祐子

    編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。