44[破]AT知文・テレス大賞受賞、松木裕人さんインタビュー: 遺伝子に見出したアナーキーな連帯

2020/06/21(日)12:21
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 コロナ・パンデミックに直面し、「生活者な私」の奥にある「生命な私」や「人類な私」に向き合わざるをえない今、セイゴオ知文術課題本に『イヴの七人の娘たち 遺伝子が語る人類の絆』が新たに加わった。ミトコンドリアDNAで人類の祖先を確定していく。そんな本書が44破のテレス大賞を生んだ。テレス大賞は、的確に掴みとった本の知を使って、自ら新たな知を作り出す格別な編集に贈られる。受賞したバニー注進蔵教室の松木裕人さんは「とてもうれしかったです。師範代からの指南に何とかついて行けてよかった」と慎ましく喜んだ。


 新井師範代は、松木さんの稽古ぶりを「五感に響く瑞々しい情景描写やメタファーが得意。そうした得意手も活かしつつ、当初から『他者の目を取り入れる』という目標を掲げ、日々の稽古に励んでこられた。自分のやり方に執着せず、編集術を身につけるためにどんどん変わっていこうという柔軟な姿勢で回答を重ねていた」と振り返る。他者の目を取り入れる稽古とは? 松木さんの知のプロフィールを届けたい。

 

 

――――――初稿からずいぶん変わりました。ブレイクポイントはいつですか?


 はじめは、要約以上にどのように書けばよいのか、皆目見当がつきませんでした。一回目の振り返りに本書の印象として書いた「ミトコンドリア・アナキズム」という言葉を新井師範代が拾ってくださり、それがはじめの突破口になりました。そのあと、「ミトコンドリア・アナキズム」というターゲットに推論が向かうよう「5つのカメラ編集術」で本を辿りなおし、なんとか書き進めました。ここにも師範代のアドバイスがありました。


――――――タイトルになったニューワードは、師範代との相互編集の賜物だったのですね。なぜ「アナキズム」と結びついたのでしょう。


 「アナキズム」は一般に「無政府主義」と訳され、暴力やテロルのイメージと重ねられることが多いのですが、一方で「連合主義」などとも訳され、権威や権力によらない、自立した自由な個人の結びつきが重視されて、非暴力、自主管理、「新しい村」、武者小路や有島武郎などのイメージとも重なります。私の頭の中には、このことが割と印象深く残っています。


――――――創文中にも「ミトコンドリアの母系図は、国境や国籍という権力の縁取りを軽々と越える」という表現がありましたね。


 はい。鎖のような繋がりを追えず点在する、ミトコンドリアDNAの同タイプの人と人が、けれども確かにつながっている(それもおそらくは「愛」によって)というのが、「アナキズム」の、自由な個人の結びつき、共生、といったイメージと頭の中で重なったようです。


――――――本の外の知や師範代の眼差しといった、非自己を取り込んでいく柔軟な姿勢が、知と知が自由に結びつく、松木さんの柔らかいアナロジーの秘密なのかもしれませんね。今後の稽古についての抱負をお話しください。


 これからについてどのような挑戦が可能なのかまだよくわかっていないのですが、虫の目を使って、自分の身体的な感覚や記憶をできるだけ丁寧になぞってみること、そして背中を伸ばした鳥の目で、同じものを離れて見返してみることを意識していきたいと思います。
 また、最も難しいと感じているBPTを、これもできるだけ意識して、稽古に生かしていきたいと思います。

  • 野嶋真帆

    編集的先達:チャールズ・S・パース。浪花のノンビリストな雰囲気の奥に、鬼気迫る方法と構えをもつISISの「図解の女王」。離の右筆、師範として講座の突端を切り開いてきた。野嶋の手がゆらゆらし出すと、アナロジー編集回路が全開になった合図。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。