この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

自分に不足を感じても、もうダメかもしれないと思っても、足掻き藻掻きながら編集をつづける41[花]錬成師範、長島順子。両脇に幼子を抱えながら[離]後にパタンナーを志し、一途で多様に編集稽古をかさねる。服で世界を捉え直してみたい数寄心で、花伝式目を身体化してゆく。
花伝所の8週間を這い抜けて、入伝生たちの指南は見違えるほど進化した。凛と更新された指南は数あれど、どんな回答もまずは受容するというカマエと、そのカマエを相手に伝わる言葉に変換するハコビが格段に磨かれた。「受容」は、そのあとにつづく相互編集の滑りをよくする潤滑油であり、美容成分を浸透しやすくする導入化粧水であり、ジョン・ガリアーノのバロックぶりを言葉にするためのリバース・エンジニアリングであり、二機・三声に向かう手前の調子なのだ。
しかし多くの入伝生が、心身の奥から花伝式目を理解できているかというと、これがなかなか難しい。文体で世界観を表現し、息を吐くように二曲三体を舞うには、放伝後も編集を人生しつづけるしかない。
入伝式の師範講義で弓道の型を見せる花伝師範の森本康裕。イメージをマネージするための手がかりとして「弓をひくのは的に矢を当てるためではなく、空間(世界)を表現するため」という見方を示した。これから新師範代に贈られる唯一無二の教室名は、無秩序な意味の市場に別の価値世界をうみだす編集装置であり、 虚に居て実をおこなうために松岡校長から贈られる「本歌」なのだ。 Photo: ©後藤由加里
去年から文化服装学院でパターン・メーキングを学んでいる。洋服を作るアプローチは色々あるが、たとえば「立体裁断」はボディ(洋裁専用のマネキン)に布をあてて裁断したり、ピンを打ったり、しるしを書き入れたりしながら、布地と技術で洋服のシルエットを形作っていく方法である。ありふれた綿布が美しい輪郭をつくる過程は魔法のようであり、洋服を作るプロセスのなかで最もドラマティックな瞬間だ。自分でも布をつまんで形を作りながら感じたことは、二次元の布帛を立体的なシルエットに仕立ていく工程には「受容のメトリック」が重要だということである。つまり素材論を意識しつつ布のクセを類推し、そのユニークネスを受け止めながらシルエットをつくる必要があるということだ。
花伝所での稽古と立体裁断の実習が重なるにつれ、47[破]の師範代登板から続いていた未練が、次へ進むための新たな仮説になっていく。自分の数寄をフィルターにすると、脳ミソにしかいられなかった花伝式目の理論が、身体知となって指先に同期してくるようだった。
2023年に開催されたDIORの回顧展をご覧になっただろうか。貴重なアーカイブが集結した展覧会に、服飾関係者がこぞって参集した。華麗な作品、配置、構成、空間演出、すべてが完璧ともいえるエキシビションだったが、トワル作品もまた圧巻だった。平織りの布でここまで美しい曲線の綾が出せるのかと、有力メゾンの技術力を見せつけられた。 Photo: ©DAICI ANO 出所: https://www.vogue.co.jp/lifestyle/article/dior-exhibition-tokyo
美しい立体裁断のために肝心なもうひとつの受容、それは布を触りすぎないことだ。たとえばアイロンで地直ししたトワル(仮縫い用の布)を湿った手でベタベタ触ってしまっては、絶対に美しいシルエットは作れない。トワルは、地の目がまっすぐ通ったときの「ハリ」こそが命なのだ。自分の望ましいシルエットにしようと、布を扱う手に力が入ってしまう様は、題意に沿わせようと「正誤チェック型」の指南をしてしまう師範代に似ている。大事なことは、布の「ハリ」を保ちつつ、布がどう動きたがっているかにアフォーダンスされながら瞬時に素材感をアブダクションし、お互いが望ましい方向へアナロジーとカラダを同時に動かすことである。布という「学ぶモデル」を受容することなく、パタンナーという「教えるモデル」の振る舞いは定まらない。
目指すべきターゲットは布が、学衆が、教えてくれる。師範代に主客を入れ替えるカマエがあれば「学ぶ」と「教える」の境目がゆらぎ、そこにイキイキとした相互編集の場が生まれるだろう。
師範代は「服を着る人」にとどまらず、「服を作る人」でもある。左のボタンを右のボタンホールに掛けるだけでなく、手の平に転がるボタンをどこにどうやって縫いつけるか、どこにどんな穴を開けるかということにワクワクできるのが師範代という才能であり、相互編集の醍醐味なのだ。「虚に居て実を行うわたし」を、教室のあちらこちらで再発見してほしい。
文・アイキャッチ:長島順子
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編集的先達:世阿弥。花伝所の指導陣は更新し続ける編集的挑戦者。方法日本をベースに「師範代(編集コーチ)になる」へと入伝生を導く。指導はすこぶる手厚く、行きつ戻りつ重層的に編集をかけ合う。さしかかりすべては花伝の奥義となる。所長、花目付、花伝師範、錬成師範で構成されるコレクティブブレインのチーム。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。