師範代にすることに責任を持ちたい:麻人の意気込み【39[花]入伝式】

2023/05/18(木)08:00
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近所の池のオタマジャクシに足が生えてきた。わずか2カ月ほどでえら呼吸から肺呼吸へ、水中から陸上へ。カエルに変態する様はいつ見ても不思議だが、イシス編集学校にもたった2カ月で大変化を巻き起こす場がある。師範代養成コース、花伝所だ。校長・松岡正剛はかつて「ぼくが作った機関のうち、一番の誇りにしている」と言った。

 

39[花]の入伝式、ついこの前まで学衆と呼ばれる学び手側だった入伝生の中には、花伝所に飛び込んだものの本当に師範代になれるのか不安を抱える者もいただろう。だが今期から花目付のロールに着替えた中村麻人は、マイクを手にするや入伝生たちに大きなターゲットを示した。

みなさんを師範代にすることに責任を持ちたい。なぜなら、師範代になる・ならないで止まっている場合ではないからです。吉村林頭が5年で編集を日本のインフラにと言うなら、みなさんは師範代のその先、編集道をこそを見せていってほしい。

 

花伝所での稽古は2カ月の短期集中型。今期は24名の入伝生に対して15名の指導陣がつく。単純計算で2人に1人以上の指導陣の割り当てだ。イシス編集学校の講座は数あれど、これほど手厚い講座はない。

 

ただし中村花目付は、変わることの苦しさも隠さない。

 

師範代になる道のりにはしんどい場面もあるでしょう。もやもやしたものを抱えたり、なにくそという思いが生まれたり、場に言葉が返せないということも出てくるかもしれない。もがき苦しみながら師範代になっていく人もいる。花伝所の稽古は多様で楽しいものだが、変化するということはそれくらい生々しいものでもある。

 

さらに熱を込めてこう続けた。

 

だからこそ、「場」の型を意識して、なにがなんでも場に出てきて対話をしてほしい。そうすれば師範代になれる。それほどの型を「式目」というかたちで用意している。

 

大学生で師範代となり、松岡校長に「きっと次代のスターになるだろう」と名指しされたiGEN7人衆でもある中村花目付。編集工学に魅せられ、編集の「道」を邁進してきたその語り口は終始落ち着いていながら、型への確信、式目への自信が言葉の端々に滲み出ている。

 

師範代になるプロセスは、個人編集ではなく相互編集で進めていくもの。みなさんが師範代になっていくために、指導陣も踏み込んでいく。リスクをとって対話をしていく。一座建立でこれからの稽古を進めていきましょう。

 

最後は指導陣もリスクをとり、引き受ける覚悟を示す四文字が並んだ。中村花目付の意気込みを、入伝生たちはどう受け取ったのだろうか。

 

オタマジャクシからカエルへ、学衆から師範代へ。「なりかわる」ための花伝式目演習はすでにはじまっている。

 

花目付のTシャツには「稽古条々」の文字

 

 

アイキャッチ:後藤由加里

  • 福井千裕

    編集的先達:石牟礼道子。遠投クラス一で女子にも告白されたボーイッシュな少女は、ハーレーに跨り野鍛冶に熱中する一途で涙もろくアツい師範代に成長した。日夜、泥にまみれながら未就学児の発達支援とオーガニックカフェ調理のダブルワークと子育てに奔走中。モットーは、仕事ではなくて志事をする。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。