この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

節分明けの2月5日、未入門者も含む17名がイシス編集学校のマザーシップ、花伝所のエディットツアーに参集した。38[花]を修了したばかりの放伝生も新師範代として駆けつけた。田中晶子所長以下、林朝恵花目付に花伝師範ら総勢8名がそろい、“秘伝”といわれる花伝所の奥を紙芝居のごとく凝縮し、2時間半でダイジェストしてみせた。
学ぶ側から教える側へ、花伝所を経て入伝生は超高速に師範代になっていく。意気揚々とした新師範代の貌がそれを物語る。わずか7週間余りでのメタモルフォーゼ。そんなことがなぜ叶うのか。どこにもない教育システムのひみつとは。世阿弥の風姿に肖った人材育成プラットフォーム、花伝所のいまを伝えてみたい。
2023年5月開講の51[守]で登板予定の新師範代
|仕組みと学びは一体
西洋の錬金術に由来する「錬」の字を据えた「錬成師範」と「花伝師範」の双璧で道場稽古は進む。練ではなく錬であることに注意のカーソルが動くだろう。複数の師範がチームとなり各道場の入伝生の成長を支えている。多層で多中心であることが道場ごとに多様なフォーカルポイントを浮き上がらせる。徹底的にみることで「問」と「感」を同時に起動させていく。リアルとオンラインの違いはどこにあるだろう。編集学校は開講以来ずっとヴァーチャルだ。
本楼から画面の向こうにいる参加者の機微にもアテンションが注がれる。例えば50[守]受講中のKは、頑丈なヘッドフォンに一句たりとも漏らすまいと聞き入るカマエが素晴らしい。進破まえにして、すでに前のめりだ。好奇心旺盛なのだろう。情報をみることにはじまる編集稽古はフィルター次第で、いつでもどこでもなににでも起こりうる。
|編集とは、既成概念を解放する
この実体験をなくして花伝所の醍醐味は語れない。ツアーの手始めに取り組んだのは映像編集された情報の共読で、松岡正剛校長といとうせいこう氏、ユースケ・サンタマリアのやりとりがカットアップされた。「ないものフィルター」を起動させ、普段意識していない視点を発動させる方法的アプローチの例示である。すかさず、導入ワークへと本日のナビゲーターにバトンタッチされる。
颯爽とアイスブレイクを仕切る38[花]むらさき道場山本ユキ錬成師範。
お題は「部屋にないもの」。ないものとは、必要がないとも限らないし、大切なコトは伏せられているだろう。部屋にないものを起点にして、参加者がそれぞれ自己紹介の文脈へと繋げていく。2つ以上の情報が収集されることで、数奇が見え隠れし編集的自己の輪郭が際立ってくることを体感する。山本は、〆に俳諧の蕪村をひく。
「凧きのふの空のありどころ」
見立ての構造を語り、ないものを想像することが日本の文化であると言い切った。さらなる奥を示しながら今期38[花]のキーブックに選ばれた『面影日本』を通底させている。
|「編集は、対話から生まれる。」
花伝式目のイントロダクションは、アサトこと中村麻人花伝師範とイシスの推しメンCivil Engineerの内海太陽錬成師範による対談形式で行われた。コミュニケーションとコーチングの一対に足されたのは、「場」あってこそのマネジメント論である。
モデル・モード・メトリックと進む花伝メソッドをベースに、リテラルなだけではない学びの実践が語られる。ロジカルに強い理系の二人、対話はきわめてアナロジカルだ。滔々と「なっていく」プロセスを三位一体の型にして手渡していく。一人ではなく二人。対概念は日本古来の伝統でもある。感化された参加者は過去や記憶が想起され、虚に入り実を行き来するのだろう。自然と問いが立ち「師範代になるとは?」の風姿が暗黙のうちに概念化されていく。
49[破]唐傘ダムダム教室のTは逆説的な問いを呈した。
「普段の会話は、対話ではないですよね。あなたの敵ではないよ、という意思表示。挨拶だとか天気だとか。」
(お互いの)安全性を確認することはノンバーバルなコミュニケーションの一つだろう。しかし、そこをあえて言語化し尽くすのが花伝所の目指す”詰め”であり真骨頂だ。花伝道場で最多発言数を誇る中村は、間髪入れず
「教室では、(そうではない)たくさんの対話が交わされているのですね、では大塚師範代との対話とは?」
と切り返し、Tから「意味の塊だ」と言い換えられた極上メタファーを引き出した。投げられた問いには即座に応じ、問感応答返のフィードバックループを高速で回す。インタースコアとはこのことである。交わし合いの、瞬時のさしかかりを享受することで共同知が宿る。情報の分節化が互いのアフォーダンスによって生まれ、対話によって深遠に奥へと進むそのことを「場」で実践してみせた。ライブセッションの有様を集団が記憶する。
|教えることは学ぶこと
師範も例外ではない。
くれない道場へのオマージュに、深紅色の花椿のピンブローチをまとう吉井優子花伝師範。日本の典型として誰もが知る資生堂を挙げ、日本のしるしを持ち出した。たった2cmほどのシンボルに凝縮された花の世界観を映し出すズームカメラの先に一同が見入る。相方は花伝エディストのアイキャッチデザインを一手に引き受け、テキストを書けば貪欲にねちっこい阿久津健花伝師範。二刀流の方法さばきで編集体力は圧倒的だ。二人は本楼の一枚板ブビンガの向こうから学衆回答の事例を取り出し、その場でかわるがわる即興指南をしてみせた。
活きた指南がデモンストレーションされる傍から参加者の表情が変わる。師範代の眼、起点が示され着眼点から評価までプロセスをなぞるように読んでいく。自分が知っていることについて、何を知っているのか知らないのか。メタレベルの情報を交換することになる。わかるとカワル、教室もツアーも道場も、集団にこそ発揮される知の拡張だ。エディットツアーも終盤、花伝所のコンテクストが表出され没入感が高まると同時に、機から渡へと一座のボルテージも上がっていく。変容の「機」が花伝所にはある。編集によってエネルギーがチャージされていく。気づきと発見によって可能性が広がるのが編集的思考だといえる。
守から破、破の先にある花伝所の円環。各自が進む先をおぼろげに照らしながら、移ろう虚に向かう。学びはフィードバックループし続けながら、継承され仕組みごと文化となっていく。
師範陣は迎え入れた客へ“花伝的エッセンス”を放出しつつ、あとに続く師範代養成の苗代として次期39[花]のまだ見ぬ景色に向けて、新たな冒険へと出遊する。濃縮還元されたツアーの果実は、参加者全員に託されて花伝所の革新はつづいていく。
文 平野しのぶ(錬成師範)
写真 林朝恵(花目付)
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イシス編集学校 [花伝]チーム
編集的先達:世阿弥。花伝所の指導陣は更新し続ける編集的挑戦者。方法日本をベースに「師範代(編集コーチ)になる」へと入伝生を導く。指導はすこぶる手厚く、行きつ戻りつ重層的に編集をかけ合う。さしかかりすべては花伝の奥義となる。所長、花目付、花伝師範、錬成師範で構成されるコレクティブブレインのチーム。
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43[花]特別講義からの描出。他者と場がエディティング・モデルを揺さぶる
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花伝所では期を全うした指導陣に毎期、本(花伝選書)が贈られる。41[花]はISIS co-missionのアドバイザリーボードメンバーでもある、大澤真幸氏の『資本主義の〈その先〉へ』が選ばれた。【一冊一印】では、選書のど […]
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。