「三絃の面影~熱田白鳥で端唄をあそぶ~」 “記憶と想起”の面影座

2019/11/27(水)14:16
img POSTedit

 昼下がりの池泉回遊式庭園。青天を映した池に水鳥が降り立った。

 水面(みなも)に波紋が広がると三味線の音がチンーとかさなった。

 

 ナゴヤ面影座第五講「三絃の面影~熱田白鳥で端唄をあそぶ~」は、11月4日(祝)名古屋市熱田区にある白鳥庭園で催された。ゲストは、朗読家の紫堂恵さんと三味線名人の本條秀太郎さん。ここ尾張熱田の地に「うた」がどのように漂着し、どう編集され、どこに流れていったのか、そこで都と鄙(むら)が相対したということを語りと唄で表すという趣向だ。編集工学で言うと 「うた」による“記憶と想起”がテーマ。80ある席はあっという間 に埋まった。

 

 前半、紫堂恵さんは、場所の記憶について語った。熱田に所縁あるヤマトタケルから始まり、古代から「尾張風土記」、中世の連歌、西行を経て一気に近世の芭蕉まで駆け抜けた。都々逸が熱田芸妓から発祥し、吉原や深川に漂流し、各地域で編集されたという件に、江戸と地方の新しい景色が見えた。この「うた」を主語にした歴史語りは、ときおり和歌の朗詠もあり、講義というよりも声のインスタレーションのようだった。

 

 後半に本條秀太郎さんと秀五郎さんが登場し、端唄から都々逸、木遣りから民謡、伊勢音頭までをノンストップで演奏した。曲を追うごとに徐々に会場は黄昏に包まれ別世界になった。かつて白鳥庭園が、木曽川の下流に位置する貯木場であったことを意識した素晴らしい選曲だった。木曾で伐採された材木が、300日かけ木曽川を流れ、この地に運材されたという場所の“記憶”が、「うた」によって“想起”された。本條秀太郎さんは茨城潮来の出身。ここ熱田に同じ“水の郷”の面影を感じ、三絃を震わせてくれた。

 

  • 小島

    編集的先達:葛飾北斎。名古屋の旦那衆をつなげる面影座主宰。クセのある中部メンバーを束ねる曼名伽組二代目組長。本業は豆に定評のあるヴァンキコーヒーロースター代表。セイゴオ版画も手がける多才な情熱家。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。