この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

戦後80年のこの夏、多読アレゴリアのクラブ【勝手にアカデミア】は、高見順の『敗戦日記』を共読します。
「鎌倉アカデミア」は、戦後すぐ、鎌倉に誕生しました。敗戦で「なにもない」中、人々が欲したのは「知」であり「学びの場」だったのです。
【勝手にアカデミア】はこれまで、「鎌倉アカデミア」の学びのモデルをもどきつつ、当時の学びを追体験してきました。24冬は、「鎌倉アカデミアの時代とトポス」に目を向け、25春はクラブ内に「映画科」を開設。「鎌倉アカデミア」で学んだ鈴木清順に没入&映画鑑賞、オリジナル映画チラシを作成しました。
そしてすぐそこに迫る25年夏。
今度は、「文学科」を開設します。中心に取り上げるのは、「鎌倉アカデミア」の講師のひとり、高見順です。
彼が同大の教壇に立って発した「開講の辞」を、一部紹介します。
「学ぶ」ということは、どういうことか。
「書く」ということは、どういうことか。
「学ぶ」――自分にないものを自分の内部に入れる。自己の受容。
「書く」――自分に有するものを自分の外部に出す。自己の表現。
「学ぶ」
A、書物から学ぶ。
B、生活(現実)から学ぶ。
「書く」
○書くことは、生むことである。
○書くことは、考えることである。(『高見順日記 第7巻』勁草書房)
高見順は、「書け、病のごとく書け」と自らを叱咤し、戦中も日記を書き続けました。『敗戦日記』は、昭和20年1月から12月の記録です。ここに、80年前の日本がタイムカプセルとなって保存されているのです。
カプセルを開けるのは(学ぶのは)あなたです。
▲高見順『敗戦日記』中公文庫
文/角山祥道(み勝手)
今年の夏は、ブンガクしよう。
多読アレゴリア2025夏 【勝手にアカデミア】
播種(運営メンバー):大塚宏(せん師)、原田祥子(お勝手)、角山祥道(み勝手)
【申込】https://shop.eel.co.jp/products/tadoku_allegoria_2025summer
【定員】20名(勝手にアカデミア)
【開講期間】2025年6月2日(月)~8月24日(日)
【受講資格】どなたでも受講できます
【受講費】月額11,000円(税込)
※ クレジット払いのみ
※ 初月度分のみ購入時決済
以後毎月26日に翌月受講料を自動課金
例)2025夏申し込みの場合
購入時に2025年6月分を決済
2025年6月26日に2025年7月分、以後継続
募集開始★多読アレゴリア 2025・夏スタート!!!!!!!
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この夏、高見順の『敗戦日記』を読む
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勝手にアカデミア
編集的先達:三枝博音。多読アレゴリアの【勝手にアカデミア】は、鎌倉に生まれた伝説の学校「鎌倉アカデミア」をもどきながら、トポスにトピカ、映画に産業、文学に演劇……などなど勝手に学び、勝手に語らい、勝手に創出する。
【勝手にアカデミア】『鈴木清順エッセイコレクション』×3×REVIEWS
戦後すぐに鎌倉にできた伝説の学校「鎌倉アカデミア」。多読アレゴリアの【勝手にアカデミア】では、同校の「学びのモデル」を取り出してきた。25年春シーズンは、同校の映画科をもどき、卒業生・鈴木清順の方法を共読した。ではいっ […]
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コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。