【校長相話】マクラメの編み方

2024/09/24(火)18:01 img
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ひさしぶりのマクラメ編み

久しぶりにマクラメを編んだ。切れ端の一点から伸びたロープの線が、面となり、立体になっていく過程が楽しい。黒色のコットンロープを、カメラ用のストラップに仕立てた。首からさげてみると、ねらい通りの短めの仕上がりだ。イシス編集学校のイベントへ幾度も持ち出し、松岡校長の姿を撮影してきた愛機のカメラの重みが心地好かった。今思えば、校長が旅立った2日後、8月14日のことだった。

さいしょの邂逅

「編むはあけぼの」。枕草子パロディのコピーと、マクラメ編みのハンギングにコップを載せた写真で構成した「マクラメ草紙教室」のフライヤーを校長の前で披露したのは、2019年の伝習座だった。しどろもどろのプレゼンのあとの休憩時間に、人混みから逃げるように本棚劇場から井寸房への引き戸を開けると、そこにいたのは椅子に腰掛けた松岡校長だった。思わぬ二人きりの空間に固まる私に、「フライヤー、がんばっていたね」と微笑みかけた。「あれは自分で作るの?」とマクラメにも興味を示してくれる校長に、「ありがとうございます」「そうなんです」としか返せず、対話を重ねられなかったことを、今も悔いている。

 

「マクラメ草紙教室」のフライヤー
桜を生けた器をマクラメ編みのハンギングが支える

さいごの邂逅

師範として守講座に関わるようになった2024年、伝習座のリハーサルでのこと。壇上での即興の問答に苦心していた私に、いつもの黒いソファに深く掛けた校長は「3つのキーワードを用意しておきなさい」と、助言した。まっさらな状態ではなく、ただひとつの見方でもなく、3つのモデルを想定しておくことで、他者の言葉を受け止められる。編集の基本の「き」をあらためて伝えられたようで、己の不出来を恥ずかしくも思うが、とことん「3の立体感覚」を志向する編集を続けねばならないのだと、一生の宿題を得た嬉しさのほうが勝った。校長と向き合って言葉を交わしたのは、このときが最後となった。

マクラメ世界モデル

ああ、そうであった。編み込んだ3本以上のロープによって、植木鉢もコップも情報も受け止める「マクラメ・ハンギング・モデル」を、かつての私は校長と一緒に作り上げたはずだったのだ。その人の持つヘンテコな世界モデルを許すのが、松岡校長の作ったイシス編集学校だ。これからも、残された者たちや未来の学衆たちによって、様々な世界モデルが持ち込まれ、発明され、相互に交わり、未詳のマクラメ模様がつくられていく。

 

松岡校長(筆者撮影)
その人ごとの世界モデルに関心を寄せてくれた

もう一度

もう一度、松岡校長が私にマクラメのことを聞いてくれたなら。

①数十メートルの紐を手繰るマクラメの「身体性」について

②どんな情報も包み込み宙吊りにするマクラメという「メタファー」について

③駱駝に荷物を括った起源から日本の組紐にも通じるマクラメの「懐かしさ」について

今なら、話せるように思う。

 

黒色のマクラメ編みのカメラストラップ
幾度か松岡校長を撮影したカメラに結んだ

 


イシス編集学校 師範 阿久津健
(アイキャッチ写真 後藤由加里)

  • 阿久津健

    編集的先達:島田雅彦。
    マクラメ編み、ペンタブレット、カメラ、麻雀、沖縄料理など、多趣味かつ独自の美意識をもつデザイナー師範。ZOOMでの自らの映り具合と演出も図抜けて美しい。大学時代に制作した8ミリ自主映画のタイトルは『本をプレゼントする』。

  • 消える私・現れる像 51[守]学衆×師範×数奇対談

    51[守]を卒門した学衆と、師範との対談シリーズ。学匠ただいま!教室(奥村泰生師範代)の学衆川元梨奈さんは、東京・美學校の公認校として岡山ペパーランドで開講されている「美學校・岡山校」銀塩写真講座で、能勢伊勢雄氏に師事し […]

  • ファットラヴァ〜組み合わせの実験器 ―51[守]師範エッセイ (6)

    過激でかわいい-その小さな花瓶の向こうから、ドイツの極厚な「組み合わせ」編集が浮かび上がってきます。51期[守]師範が、型を使い数寄を語るエッセイシリーズ。第6弾は、阿久津健が「ファットラヴァ」を語ります。51[守]は […]

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。