遠くの月からミメロギア──風月盆をどり教室初汁講レポート 52[守]

2024/01/27(土)12:02
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 Zoom画面に「風月盆をどり教室 謹賀新年汁講」の文字が浮かび上がる。第2回番ボー〆切直前、学衆たちを月夜の別世界に連れ出す汁講が開かれた。普段テキストでやり取りする学衆・師範代たちが初めて顔を合わせる。冒頭、学衆・山口ひかりの明るいイントネーションが「関西在住」という属性を実感に変えた。

 

 今回のテーマは「言葉拾い」。最初のお題は「本」と「わたし」をインタースコアした自己紹介だ。気になった言葉を拾って質問しあうと、盆踊りの輪に参加したように学衆たちの顔も和らぐ。

 学衆の一人、柳瀬浩之は『日本という方法』(松岡正剛)と自身を重ねて「日本人らしいビジネススキルを考えていきたい」と話した。学衆・田中志穂が「”日本人”を意識するようになったきっかけは?」と問いかける。柳瀬が少し考えてから、「西洋の方法と自分のやりたい方法との間にある矛盾に気づいたとき」と答える。互いの言葉を拾いあうことで新たな言葉が場に飛び出してくる。

 

 次は、ミメロギアのお題「偶然・必然」のワークだ。最初の「連想ワーク」では、辞書を使った「偶然・必然」の言い換えで、意味のシソーラスを広げていく。学衆・坪井有香は、「必然」を「宿命」から「火を見るより明らか」まで言い換えた。さらに、持ち寄った本と千夜千冊から気になる言葉を拾いあげ、廊下、遺伝情報、肉離れ、土地とあぶくのように連想が広がった。

 2つ目の「要約ワーク」では、拾った言葉をミメロギアへ落とし込む。

 

 踊り場の偶然・廊下の必然(田中)

 変異の偶然・進化の必然(坪井)

 ――それぞれ一見近い言葉が「偶然・必然」の違いを際立たせている(師範代・飯田泰興)

 

 前十字靱帯断裂の偶然・肉離れの必然(師範・遠藤健史)

 ――これくらい具体的だと、場面が浮かんでいい(番匠・渡辺恒久)

 

 南アフリカの偶然・日本の必然(山口)

 ――自己紹介で見つけた言葉からエピソードが立ち上がり、「偶然・必然」のイメージを引き立てた(番匠・阿曽祐子)

 

 

 多くの言葉が、遠くからの月明りのように汁講を照らした。偶然に誘われた情報が、ミメロギアに向かう学衆たちの視野を豊かに広げる夜となった。

 

 (文/風月盆をどり教室 師範代・飯田泰興)

 


  • 編集後記

 

 「遠く」といえば、飯田師範代が「あちら」に行ってミメロギアを掴む瞬間を目撃した。

 

 音頭取りの途中で急に黙る師範代。話そうとしても舌が回らず2分が経つ。すると急に、「あぁ…気分悪くて、意識が飛んでました!」と白い顔のまま帰還宣言を出す。そして「貧血の偶然・熱血の必然」と新出ミメロギアを笑顔で届けた。なんでも編集契機にしてしまうのが師範代だ。

 

(編集/師範・遠藤健史)

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。