この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

豆から挽いた珈琲が落ちるのを待つ香ばしさ。2014年のイシス編集学校[遊]風韻講座の座名は珈琲座だった。エディットカフェに座を覗きに帰ると、旧かな遣ひで五七五に遊んだ時間をそのまま味わえる。
編集学校の教室、とりわけ風韻講座は座に連なることの愉しさを教えてくれた。小池師範の意匠の凝らされた稽古はどれも芳しかったが、白眉は連句だ。ふだんの会話では条件反射的に放って、自分と相手のあいだでひとりぼっちにさせてしまいがちな言葉。連句では、誰かの言葉のむこうにどんな空間が広がっているかをイメージして、そこに分け入るあいだに自分はなにを言葉にしてどんな新しい空間をつくるか思い巡らす。
また次の誰かが自分のつくった空間の襖を開けて、となりに新たな部屋をつくる。連句が巻き終わると、ひとりでは決して訪れることのできなかった景色が立ち上がっている。頭の中で飴玉のように吟味した季語とともに、連句を巻くあいだに体が感じた季節が折り重なっている。
風韻講座の連句の経験が忘れられなくて、今も相部礼子師範、大塚宏師範代が捌き手となりFacebookで連句を巻き続けている。SNSに場を移した連句の名は、芭蕉翁の発句から名づけた、薄紅葉の巻。講座が終わっても、一座は続く。
林 愛
編集的先達:山田詠美。日本語教師として香港に滞在経験もあるエディストライター。いまは主婦として、1歳の娘を編集工学的に観察することが日課になっている。千離衆、未知奥連所属。
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コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。