クリスマスは極めて日本的な美風だ◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:堀江純一

2023/12/08(金)20:00
img NESTedit

 私はたまたま10月31日の生まれなのだが、「ハロウィンと同じ日なんだよね」と言っても、昔は誰にも通じなかった。

 通じるようになったのは90年代に入ってからだったろうか。ゼロ年代に入る頃には本格的に日本的行事に発展していった。

 思えば1982年に封切られたスピルバーグの大ヒット映画「E.T.」にハロウィンのシーンが出てきたとき、大部分の日本人は何をやっているのかわからなかった。キテレツな仮装で街をぞろぞろ歩いている姿を怪訝そうに眺めていたことを思うと隔世の感がある。

 一方、クリスマスは古くから日本に定着していた風俗だった。何の映画だったか忘れたが、戦前の日本映画を見ていたら、クリスマスに浮かれ騒ぐ街のシーンが出てきて、「今とまったく変わらないじゃないか」と驚いた覚えがある。

 日本では最初っからクリスマスは陽気なお祭り騒ぎだった。「日本人はキリストの聖なる降誕祭を何か勘違いしているのではないか」などと憤慨するのも、いまさら野暮な話だと思う。

 そもそも歴史的に実在したイエスの誕生日がいつだったかなど誰にもわからない。ヨーロッパ地方に古くからあった冬至の祭祀がキリストの生誕祭と習合したのだろうというのが大方の見方である。

 どのみちお祭りなんだから、せいぜい騒げばよいだろう。

 日本人全体の中でキリスト教徒の占める割合は1パーセントに満たない(世界的にも極端に低いことで知られる)ので、この日に礼拝に行く人などほとんどいないと思う。

 ところが、私の実家は、何の因果か、代々つづくキリスト教の家系だった。

 当然、子どもの頃は家族総出で礼拝に引っ張り出された。まあクリスマスに限らず、この礼拝というヤツは子どもには退屈極まりない代物で、たびたび強制される膝立ちの姿勢なんてしんどくてイヤだった。(お寺の正座よりはマシか?)

 それでも人並みにクリスマスのお祝いはした。クリスマスケーキを食べ、夜には靴下をぶら下げた。翌朝、枕元に置かれたプレゼントを開けるのは無上の喜びだった。

 当然、サンタクロースの正体が両親であることは早くから察知していたが、そんなことをわざわざ言挙げするのも興ざめであることは子供心に承知していたので、素直に楽しんでいた。あれはいつまでやっていたのだろう。幼少の弟妹がいたので、けっこう後々までやっていたような気もする。

 今でもあの頃を思い出すと多幸感に包まれる。極めて洗練された日本的行事の一つだと思う。

(了)

 

小っちゃい頃のなーちゃん

 

最近のなーちゃん

 

※トップ画像は冬野さほ「Cloudy Wednesday」より。

 「ジングルベル」の好きな女の子の話。冬野さんは子どもの泣き顔を描くのが上手い。

 高野文子によるリメイクもあります。

 

 

ーーーーー

遊刊エディスト新企画 リレーコラム「遊姿綴箋」とは?

ーーーーー

 

  • 堀江純一

    編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。