べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その四

2025/01/31(金)22:00
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 田安家当主の死が不穏な影を落とし、亡八衆が猫を抱きながら笑いさざめく。無慈悲な真実と甘美な欺瞞を行きつ戻りつ、おちこちで沸騰する欲望は歓喜を狂騒へと変え、やがて主人公・蔦屋重三郎を追い込んでゆく。

 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。

 


 

第4回 『雛(ひな)形若菜』の甘い罠(わな)

 

 NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第4回は、文化と経済が交差する地点で生じる闘争を描いています。主人公の蔦屋重三郎は、浮世絵を単なる娯楽ではなく、広告メディアとして活用するビジネスモデルを考案しました。しかし、既存の流通構造を支配する地本問屋に阻まれ、出版業界の権力構造と資本の力学を十分に把握しきれないまま、苦汁をなめることになります。この物語は、単なる個人の挑戦と挫折を描いたものではなく、文化と経済の関係性における「不足の発見」のプロセスそのものであると言えるでしょう。
 本エピソードを読み解くためには、ピエール・ブルデューの「資本」の概念と、編集工学における「不足の発見」を組み合わせることが有効です。

 

重三郎の試みと資本の不足

ブルデューは、社会的な力を形作る資本を以下の4つに分類しました。

 

・経済資本(財産、収入、資金力)
   例:呉服屋などのスポンサーからの出資や、出版事業の運営資金

・文化資本(知識、創造力、芸術的価値)
   例:浮世絵や読本を生み出す作家や絵師の才能、出版のノウハウ

・社会関係資本(人脈、信頼関係、流通ネットワーク)
   例:地本問屋との取引関係、商人やスポンサーとの信頼関係

・象徴資本(名声、ブランド力、社会的評価)
   例:「日本橋界隈の版元」としての格、出版業界内での知名度

 

 吉原細見(一目千本)を成功させた重三郎は、次の一手として、呉服屋から入銀(スポンサー料)を募り、店の着物をまとった遊女の錦絵を制作する計画を立てました。これは、錦絵を単なる娯楽商品ではなく、広告メディアとして活用する試みであり、彼の持つ文化資本(創造力・アイデア)を生かした画期的な発想でした。しかし、錦絵を広告メディア化するビジネスでは資金集めに苦戦し、計画が頓挫してしまいます。これは、単にアイデアの良し悪しではなく、市場のスケールや流通構造の違いが影響しています。
 吉原細見は、吉原遊郭に特化した情報を提供するガイドブック的な出版物であり、読者層が限られていたため競争が少なく、比較的参入しやすい市場でした。また、遊女や茶屋の協力を得ることでスムーズに資金調達ができた点も、成功の要因となりました。

 一方で、錦絵は江戸全体を対象とする娯楽メディアであり、市場規模が大きい分、競争が激しく、流通も地本問屋が独占していました。したがって、錦絵の市場に参入するには、地本問屋との取引関係(社会関係資本)や、版元としての信用(象徴資本)が不可欠でした。
 また、錦絵の制作には吉原細見よりも多くの資金が必要でした。経済資本(制作費)を補うために、まず重三郎は呉服屋たちを接待し、スポンサーとしての支援を得ようと試みます。しかし、重三郎には象徴資本(名声・ブランド力)が決定的に不足しており、育ての親である駿河屋市右衛門から「吉原のけちな刷り物屋が、まともな錦絵を上げてくるなんて思うか?」と一蹴されるシーンが象徴するように、呉服屋からの信用を十分に得ることができませんでした。そのため、資金提供を受けることも叶わず、計画は行き詰まってしまいます。
 そんな重三郎に救いの手を差し伸べたのが、西村屋でした。彼は自身の持つ社会関係資本(地本問屋の流通網)を活用し、重三郎の企画をバックアップすることを提案します。重三郎にとっては、まさに渡りに船とも思える申し出でした。しかし裏では、西村屋は重三郎の文化資本を利用し、最終的には利益を独占して重三郎を排除する策略を巡らせていました。

 

西村屋の戦略と出版業界の力学

 西村屋の属性は「地本問屋」「既得権益層の代表」「策士」「体制維持者」「商業的リアリスト」であり、要素として「狡猾さ」「保守性」「経済合理主義」を備えています。
 地本問屋のネットワークは、「流通の支配者」として市場を独占しており、新規参入者にとって大きな障壁となっていました。これは、現代においてGoogleやAmazonが検索エンジンやECプラットフォームの分野で市場を独占的に支配し、広告や流通において圧倒的な影響力を持っている構図とよく似ています。

 文化資本は、それ単体では市場における影響力を持ちません。経済資本や社会関係資本と結びついて初めて、商業的な価値を生み出します。
 例えば、ピカソの絵画は、単なる芸術作品としての文化資本に留まるものではなく、評論家による評価(象徴資本)、美術館での展示(社会関係資本)、オークション市場での取引(経済資本)と結びつくことで、市場価値を確立しています。この仕組みは現代のアートビジネスにも当てはまり、村上隆とルイ・ヴィトンのコラボレーションのように、ブランドの象徴資本とアーティストの文化資本が融合することで、新たな商業的価値が創出されるケースも多く見られます。

 重三郎もまた、浮世絵を広告媒体として活用するという画期的なアイデアを持ち、文化資本には恵まれていました。しかし、それを市場に流通させるための経済資本(資金)、社会関係資本(業界内ネットワーク)、象徴資本(名声・ブランド力)を十分に持ち合わせていなかったため、事業の成功には至らなかったのです。

 

重三郎の転機——社会関係資本の構築と文化資本の創出

 ラストシーンで声を荒げていた重三郎の姿が象徴するように、今回の敗北は彼に「文化資本だけでは巨大な市場を動かすことはできない」という厳しい現実を突きつけました。しかし、この挫折は終わりではなく、新たな戦略へと踏み出す契機となります。これまでアウトサイダーとして独自の道を切り開こうとしてきた彼は、一度はシステムの内側に身を置き、その仕組みを学ぶ決断を下すでしょう。そこには、自らの立場を強化し、次なる挑戦へとつなげるための新たな「不足」が待っているはずです。
 江戸の出版業界は、既に確立された強固なネットワークによって支配され、新規参入者にとって容易に突破できるものではありません。重三郎は、その現実を受け入れた上で、どうすればこの壁を越えられるのか、次なる一手を模索することになります。

 そんな中、重三郎は思いがけず、社会関係資本の構築とは別の可能性を発見します。それは「象徴資本を自前で発掘・育成すること」であり、その象徴となるのが唐丸です。
 西村屋の計らいで、錦絵の下絵を手掛けることになったのは、美人画を得意とする名絵師・礒田湖龍斎(鉄拳)。しかし、仕上がったばかりの下絵が、猫のいたずらによって水浸しになり、台無しになってしまいました。顔面蒼白になる重三郎に、唐丸は思いがけない提案をします。

 

「蔦重、試しにおいらに直させてもらってもいい?」

 

 重三郎は半信半疑でしたが、唐丸が湖龍斎の筆致を完璧に再現しながら描き始めると、その見事な技術に圧倒されます。「俺には元の絵にしか見えねえ」と感心する重三郎。「おめえ、なんでこんなことできんの?」と問いかけると、唐丸は不思議そうに「なんでだろ…」と答えるばかりでした。

 

この瞬間、重三郎は確信しました。

 

「お前はとんでもねえ絵師になる! 間違いなくな。俺が当代一の絵師に

  してやる!」

 

 これまで誰からも認められたことのなかった唐丸にとって、この言葉は衝撃的でした。「おいら、そんなこと言われたの初めて」と、目を輝かせながら喜びを爆発させる唐丸。その様子を見た重三郎の表情にも、彼の未来に対する確信と期待がにじんでいました。
 こうして完成した錦絵を見た湖龍斎も、まさか少年が復元したとは気づかず、「よく仕上がっておる」と満足げに頷きます。まさに、唐丸は偶然の出来事によって、自身の秘められた才能を証明したのです。

 もし、この唐丸をプロデュースし、一流の絵師として育て上げることができれば、重三郎自身の文化資本はさらに強固なものとなり、それが象徴資本へと転換される可能性があります。
 実際に、重三郎は、当時無名だった喜多川歌麿や東洲斎写楽を見出し、彼らを世に送り出した出版人として知られています。その視点から見れば、今回の唐丸のエピソードは、あの“謎多き絵師”の誕生につながる伏線とも考えられます。

 

 敗北を経験し、「社会関係資本の構築」という新たな道を模索し始めた重三郎。さらに、無名の才能を発掘し、それを育成することで市場を切り拓くというもう一つの可能性を手に入れました。

 重三郎は、これからどのような不足を発見し、どのように進化していくのか。そして、唐丸の成長が物語にどうかかわってくるのか。

 今後の展開に注目です。

 


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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。