おしゃべり病理医 編集ノート - 終わらない贈り物

2020/03/16(月)11:09
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 「終わらない贈り物」
 なんて素敵な言葉なんだろう!ドミニク・チェンさんの新刊『未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)の本の中において、それはひときわキラキラしているキーワードであった。ドミニク・チェンさんといえば、松岡校長との共著『謎床』もあり、ご存知の方が多いだろう。
 
 ドミニクさんは、新婚旅行先のモンゴルで滞在中にとても親切にしてもらった牧場主に、一頭の白い馬をあげようと言われる。驚いて、残念ながら持ち帰ることができませんと答えるのだが、持って帰れという意味ではなく、再びここに訪れたときに君たちが自由に乗ることができるように、手放さずに面倒を見る、ということを牧場主は提案していたのである。それまでに経験した、いかなるものとも異なる贈り物のかたちに、ドミニクさんは、心を強く揺さぶられる。権利の貸与や契約などという形式ばったものを超えた友愛の念が込められていたからだ。自分の普段の生活における所有や共有、権利といった言葉の定義がなんと狭くて貧しいものか、恥ずかしくなったという。
 
 「贈与」というと、現代では「賄賂」というようなネガティブな印象や金銭的なものに限定したイメージが先行しがちであるが、モノの交換には、単なるモノの交換以上のやりとりが行われている。千夜千冊1507夜『贈与論』には、マルセル・モースの「互酬性」を中心とした思想について紹介されている。様々な物が贈られ、それに対して返礼が行われるという互酬的システムというものが、未開社会や古代社会からすでに認められて、それ自体が経済システムだけでなく、伝統的な社会制度や文化をも生み出しているというのがモースの思想である。のちに、互酬的贈与の習慣は、社会文化全般のやりとりとして捉えられ、構造主義を打ち出すレヴィ=ストロースにも影響を与えた。松岡校長は、さらに、そういった贈与や互酬性の感覚はむしろ日本の社会経済史の特徴にこそよくあてはまると指摘する。もったいない、とか、おすそ分けといった日本の伝統的な文化の中に互酬的な感覚が根づいているのに、現代ではそれが失われつつあることも。
 
 ドミニクさんの経験した白い馬という「終わらない贈り物」は、モノが交換されないかたちの贈与である。前回、『借りの哲学』において、ナタリー・サルトゥー=ラジュが提案した「借りを返さなくてよい社会」について考察したが、ドミニクさんの経験は、まさにその具体例だと思った。「白い馬」という贈り物は、再会を約束するという意味において、恩送りともいえるのではないか。借りを返さなくてよい社会とは、終わらない贈り物を贈り合う社会とも言い換えられるだろう。
 
 ドミニク・チェンさんの著書を読みながら、ご本人の姿を何度も思い出した。以前、松岡校長が塾長をつとめるハイパーコーポレートユニバーシティー(HCU)の同窓会である「はこゆ」という会で、一度だけお会いしたことがあった。わたしが参加した年の前年のHCUは、「意味と電子のAIDA」がテーマで、ドミニクさんは、アンドロイド研究者の石黒浩さんとともに講師として登壇されており、「はこゆ」にも招待されていたのだ。
 
 生のドミニク・チェンさんは、とても美しかった。まず立ち姿が綺麗だった。でもそれだけではない。身体全体から「ウェル・ビーイング」が滲み出ている感じがした。素晴らしい教育を受けてこられたのだろうと思った。それは、裕福な家庭に育ったとか、英才教育を受けてきたというような意味ではなくて、他者を尊重する、という至極当たり前なことが当たり前のようにできるようになる教育、ということである。それは自分を顧みてもまわりの人をみてもなかなか簡単なようでいてできないことだと思う。どうしても場の空気に呑まれたり、自分のことで精いっぱいになると他者への配慮は疎かになりがちである。わたしはいつもそうだから、あとでとても後悔したり反省することが多い。
 
 どんな人が壇上に立っても、ドミニクさんがその人の話を傾聴しているのが遠くからでもよくわかった。身体全体をそのひとに向けて、時折、うなづきながら聞いている。わたしは、壇上の人そっちのけで、ドミニクさんばかりを見つめてしまった(それはそれで壇上の人に失礼)。心地よいオーラがじわじわ~っとこちらにまで漂ってきて、自分の魂が浄化されてるなぁと思ったくらいだった。
 
 ご本人が登壇された際は、当時目前に控えていた「あいちトリエンナーレ」に向けて準備されているプロジェクトについて静かに熱く語られていた。それは「遺言」の執筆プロセスを記録するというテーマで、そのことも本書『未来をつくる言葉』に紹介されている。内容にこれ以上触れると明かし過ぎになってしまうので控えるが、このプロジェクトは、自分の死が娘さんの誕生によって「予祝」され、恐怖を感じなくなったという体験に基づいたという。
 
 未来をつくる言葉とは、借りの回遊につながる言葉であろう。遺言も死者への哀悼の言葉もそうだろう。そして、病理診断もそういうものでありたいと思う。終わらない贈り物としての言葉を大切にする社会をと願う。ドミニク・チェンさんが体現されている「ウェル・ビーイング」に肖りたい。 
 
 
終わらない贈り物
  • 小倉加奈子

    編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、天然”じゅんちゃん”の娘、そしてイシス編集学校「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべり病理医』シリーズ本の執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、順天堂大学内に「MEdit Lab 順天堂大学STEAM教育研究会」http://meditlab.jpを発足。野望は、編集工学パンデミック。

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。