この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

━━━━━━━━━━━━https://1000ya.isis.ne.jp/
★千夜千冊PRESS★ vol.196 2020年1月25日
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2020年の最初の千夜となる1730夜は、
ジャン=ミシェル・モルポワの『見えないものを集める蜜蜂』です。キラリと箔押しされた蜂巣模様の表紙が目を引きます。
蜜蜂は野原の上を駆け巡って甘いハチミツを作る。
詩人モルポワは世界中のありとあらゆるものを駆けめぐり、単調な世界から見えない感動と思索の言葉を集めて、この巣箱のような散文集を作りました。
『千夜千冊エディション』を連打するセイゴオは、いったいどのように言葉を集めているのでしょうか。
まずは当夜案内からご覧ください。
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★ 千夜千冊 1730夜(2020年1月17日 更新)意表篇
★ 『見えないものを集める蜜蜂』
★ ジャン=ミシェル・モルポワ(2019)思潮社
★ https://1000ya.isis.ne.jp/1730.html
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句読法はもともとは礼節であったはずである。
けれどもクローデルやヴァレリー(12夜)が叱責したように、テニヲハや句点や読点やカギカッコでできている一般句読法には、もはや変幻がない。それらは捕虜収容所の鉄条網のようになっている。禁令になっている。
だから私は、好き勝手な方位点や水準点や、あるいは落下点や到着点が打ちたいのである。なかでも一番打ちたいのは弱点だ。
ゆめゆめ、セミコロンで逃げを打ってはなるまい。物の名を変えたいから書くのではない。言葉に報い、驚異を分泌して、世界を単調の灰の中から掬いとるために書く。
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【当夜案内(千夜千冊編集部より)】
書物にならなくても、空中に放った言葉が、時を経て、ちがう誰かに伝わっていくこともある。
ルールに縛られず、勇気をもって到達点や弱点を打てば、誰かの心にコラージュが起こり、言葉とともに人は存在し続ける。
読むと書くを同時に起こしているセイゴオは、かつて『千夜千冊エディション』のために構成推敲することを、“歌手がリサイタルのためにレコーディング直している感じ”と語っていましたが、当夜では蜜蜂とは程遠い、いくつかの驚きのメタファーで言い換えています。
さて、それはどんな言い換えでしょう?
詳細はこちらの千夜でご確認ください
https://1000ya.isis.ne.jp/1730.html
八田英子
編集工学を世界に広めるために編集工学研究所に入所した元SE。不適な笑みを湛えながら、問答無用でばさばさと人を斬りまくる。編集的先達は沢田研二。
【参加者募集】常識破りのお茶×読書×編集体験!5/17(土) 「本楼共茶会」ライチ茶篇を開催します
5月17日(土)、松岡正剛プロデュースのブックサロンスペース「本楼」にて、お茶×読書×編集で参加者のみなさまを意外な世界へお連れする「本楼共茶会」(ほんろうともちゃかい)を開催します。5度目となる今回は「ライチ茶」を入口 […]
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。