この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

暑い。溶ける。海にプールに潜りたい。しかしコロナで儘ならない。そんなときは本にざばんとダイブする。海底の石を拾うかのごとく、深く深くダイブする。こよなく愛するのは「アーキ・ダイブ」という読書法。人類に共通する意識の奥底にひそむ原型(アーキ)を、潜りながら探してゆくもの。編集者/ライターとして活動してきた筆者が、目の前にある本への礼節とともに、古の原型へと意識の旅に出る。
女が書くこと、それは古来事件だった。1987年、芥川/直木両賞の選考委員に女性作家が初めて加わった際も、96年に両賞を女性作家が初めて独占した際も、世間は騒いだ。167回目となる今回、女性作家の受賞独占こそ令和では至当に受け入れられたが、候補作が一作を除き女性作家によるものだったことは、やはりけっこう話題になった。
女の書くものが事件となったのは、厳として『源氏物語』が端緒だった。窪美澄氏の今作には、源氏の面影が原型となって深奥に流れていると思えてならない。私が源氏を呼んだのは遥か昔で、記憶は脳の皺に埋もれっぱなしだが、「ああこれは喪失と家族の物語だ」と思ったことはよく覚えている。光源氏はじめ登場人物すべてが苛烈に負を抱え、生きるに伴い感じざるを得ないであろうあらゆる境地がそこには描かれていた。子が親に、親が子に、友が、妻が、夫が、幼子が、老輩が…、式部は人間一切その有りっ丈を書き尽くそうとしたのではないかと思われた。
5編の短編から成る今作でも、窪氏はキャラクターたちに厳しく「ないもの」を背負わせる。双子の片割れや母を喪った私、イジメに遭い、少年時代を手離し、子供時代を奪われたりしている主人公たち。しかしその実、光る君と同様、心の綱である肝心の喪失だけは見ない振りをしていたりする。
今作のワールドモデルは、コロナを含む異様な外圧によって無理やり閉じられた現代のテラリウム社会だ。源氏では常ならぬ夢幻が母なる面影によってつながってゆくが、その一脈を今作では星の面影が担う。客体がとりとめなく変容していく文体は、「いじりみよ(※)」としては崩れている?と思われるのに、その崩れに引き込まれる。歌で語れなくなった現代では、和歌の代わりに主体が語り、ちくりと刺す不穏が御簾の下から差し入れられるのだ。
今作には「もののけ」も登場する。平安ではコントロール不可能に思えた〝ものの気配〟が、強烈な意志によって演出まで施すという現代の見方は面白かった。平安から時代は移り、5話の主人公たちは無常に身を任せるだけでなく、きっちり自分にオトシマエもつける。
言うまでもなく源氏は「もの」の「あはれ」を描き切った壮大無比な物語であり、一話ごとに独立したテラリウム的短編集とはスケールが異なる。登場人物が負を背負うのも自明の理であり、さらに深く潜れば負の物語原型は別にある。しかし星を媒介に有機的につながる現代の家族の物語には、同時代を「書き尽くそう」とする作者のカマエが感じられ、また幼くして母を亡くした式部と、両親の離婚や実子の喪失を経験した窪氏の無常が私の中で呼応し「家族には命があり、その形状は状況に応じどんどん変わっていく。変わることは失点ではない」と語った窪氏に、現代の式部の面影を見たいと思ってしまったのだった。
(それにしても日本に再び紫式部が生まれるのはいつのことだろう。)
※「いじりみよ」:イシスで学ぶ創文の型。位置づけ/状況づけ/理由づけ/見方づけ/予測づけで論旨を組み立てる。
読み解く際に使用した「編集の型」:
略図的原型(アーキタイプ)[守]
「型」の特徴:
人間が経験的に持つ「らしさ」の脳内モデル。プロトタイプ(類型)/ステレオタイプ(典型)/アーキタイプ(原型)がゆるやかにつながり、特にアーキタイプをとらえることは情報に立体的な奥行きを与える。
※アイキャッチ画像:受賞作は書店入荷が遅くkindleで読んだが、奇しくもkindleで初めて読んだのも源氏物語だった。小倉遊亀『径』を背景に夏を演出。
夜に星を放つ
著者: 窪美澄
出版社: 文藝春秋
ISBN: 9784163915418
発売日: 2022/5/24
単行本: 220ページ
サイズ: 13.7 x 2 x 19.4 cm
【ISIS BOOK REVIEW】直木賞『夜に星を放つ』書評 ~言語聴覚士の場合(竹岩直子)
羽根田月香
編集的先達:水村美苗。花伝所を放伝後、師範代ではなくエディストライターを目指し、企画を持ちこんだ生粋のプロライター。野宿と麻雀を愛する無頼派でもある一方、人への好奇心が止まらない根掘りストでもある。愛称は「お月さん」。
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※イシスのイシツな人材を《イシツ人》と定義し、エディット紹介する不定期連載。 第12回となる今回は、母なる受容力が魅力のあの師範。 「史上初」という言葉の奥には、いつもそれを生みだす人がいる。 […]
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48[破]突破式。 原田学匠がこの先達文庫を読み上げたとき、誰に贈られるものかすぐにわかった。 「シード群生教室」の阿部幸織師範代へ。 ハイデガーの弟子であり恋人でもあったラディカルな思想家ハンナ・アーレン […]
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。