ごあいさつ【境踏シアター】

2022/04/30(土)08:00
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 このたび「遊刊エディスト」にデビューすることになった境踏方師の田母神です。年甲斐もなく、すこし興奮ぎみです。編集の新たなサンクチュアリともいえるこの「エディスト」に来ただけで、自分のなかのピーターパンが、うずうずしてくるのを感じます。

 

 私が海を飛びこえ、ネバーランドからやってきた理由はただ一つ。三千大千世界にも喩うべき松岡正剛の広大な「知」の奥行きを、みなさんに少しでも感じとってもらうこと、そのはるかさと身近さを同時に体験し気づいてもらうことです。

 

 私は、松岡正剛ほど根源的で、世の初めから隠されていることを暴きつづける知者をほかに知りません。しかもこの聖(ひじり)は、知と編集の初心者にさえ一挙に自己革新を起こしてしまえる方法(メソッド)を用意した、革命的な教育者でもあるのです。世界が滅びないために必要なことのすべて、生きるということのほんとうの醍醐味を味わうのに必要なことのすべて、そして何度危機に瀕しても、つねに再生していくために必要なことのすべてを学べる遊の郷(くに)、それがISIS編集学校であり、守・破・離を始めとするすべてのコースなのです。

 

 私は、『維摩経』の世界にも似た松岡ワールドの骨法をみなさんに伝えつつ、さらなる別様可能性を開拓していくつもりです。そのためなら、私はどんな境界でも踏み越えることを厭いません。そもそも「踏む」という行為には、ヒトやモノや土地の潜在的エネルギーをよび覚まし、活性化させるという呪術的効果があるのです。相撲取りが土俵で四股を踏むのもその名残ですし、雨に濡れそぼった桜の花びらを踏むことのなかにも、なにかしら世界を変える成分が含まれているのです。私が書くものを通して、みなさんを、すこしでも原郷や異郷にいざなうことができたなら、私のミッションのいくらかは達せられたことになるでしょう。

 

 では、参ります。まずはいつもの呪文から。そう、「2つ目の角を右に曲がって、それから朝までまっすぐ!」。いよいよ、境踏シアターの幕あけです!

 

 

【トップ画像】

ブルターニュ半島モルビアン湾の眺望。「多島海式ネットワークあるいは多島海的運動が、編集エンジンには不可欠だ。それこそが、ネバーランドであり、ミル・プラトーなのである。」(境)

  • 田母神顯二郎

    編集的先達:ヴァルター・ベンヤミン。アンリ・ミショー研究を専門とする仏文学の大学教授にして、[離]の境踏方師。ふくしまでのメディア制作やイベント、世界読書奥義伝の火元組方師として、編集的世界観の奥の道を照らし続けている。

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。