この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

デザインは「主・客・場」のインタースコア。エディストな美容師がヘアデザインの現場で雑読乱考する編集問答録。
髪棚の三冊vol.4 見知らぬものと出会う
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『見知らぬものと出会う』(木村大治、東京大学出版会)2018年
『機械カニバリズム』(久保明教、講談社選書メチエ)2018年
『〈弱いロボット〉の思考』(岡田美智男、講談社現代新書)2017年
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■想像できないことを想像する
不気味なウイルスが世界を侵食している。しかもこれまでのところ、どうやら彼らの勢力拡大キャンペーンはまずまずの成果を上げているように見える。COVID-19は、厄介なことに人類に対して充分に高い適応力を持っているらしい。彼らはこのまま私たちの社会に定住してしまうのかも知れない。
時系列は前後するが、人工知能研究企業のOpenAIは先頃、AIによる文章生成ツールのリリースの延期を発表した。開発責任者はその理由を「人類を愛することを教えられていない超高知能マシン」がもたらす潜在的脅威に備えるためだと語ったそうだ。マシンの生み出す価値が富の過剰な集中をもたらし、世界のあり様を変えてしまうことを危惧したのだという。
ウイルスもAIも、その出自や知能の有無はさておき、人類に対する脅威の質は似通っている。
まず第一に、彼らはわれわれを愛することを知らない。心の通じない相手が、必ずしも敵対的であるとは限らないが、互いにわかり合う関係を構築することは容易でない。
第二に、彼らはわれわれの承知しない方法でわれわれの領土に地位を得ようとしている。しかも彼らは、われわれ自身が承知している以上にわれわれのことを知っているのだ。
見知らぬもの、なんだかよくわからないもの、いまはまだ現れていないもの、まったくもって想定外のもの、われわれの認知や反応の速度や深度を超えた能力を潜在させるもの。
もしも彼らが私たちの社会に定住しようとするなら、互いにコミュニケーションをとることは可能だろうか?
未知との遭遇の3パターン (『見知らぬものと出会う』木村大治/東京大学出版会 より)
◆他者と相互に関係しあうときには、上図のような二軸を想定する必要がある。◆横軸は相手に対してポジティブかどうか、即ち敵と味方を区別するメトリックであり、縦軸は、そもそも相手と相互行為しようとする意思があるかないかのアクシスである。◆たとえば、戦争状態にある当事者同士は「互いに敵対している」という枠組み自体は共有している。いわば、敵も味方も同じ穴のムジナなのだ。◆しかし人類にとってウイルスやAIは、互いに意思を疎通し合う関係にあるかどうか甚だ疑わしい。「わからん系」はこの象限にあるだろう。◆わからん系とは相互関係が成立しないので、敵味方について判断することができない。
敵対的攻撃を防御するにせよ、友好的接触を受容するにせよ、相手の出方を想像して先回りすることは不可欠である。想像できないことを想像するための作法について、私たちは大急ぎで準備する必要に迫られている。
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
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コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。