[週刊花目付#45] ツールを鍛える

2022/12/13(火)11:51
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週刊花目付#45

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■2022.12.06(火)

 

 返す返すも式目演習は「エディティング・モデルの交換」である。花伝式目のカリキュラムが「モデルをつかむ」から始まることの意味は重く深い。

 

 たとえば「他人からアレコレ言われたくない私」がいたとして、周囲から「あの人は助言や提案に耳を貸さない人だなぁ」「頑固な人だよねぇ」というような理解をされていたとする。ある人のそうした特徴や言動の傾向は、つきあっていれば自ずと知れてくるから、お互いにそれなりの距離感や空気感をもって言葉を交わすような関係が築かれていく。
 こうしたコミュニケーションの有り様を「エディティング・モデルの交換」と呼べなくもないのだが、花伝式目で言う「エディティング・モデル」はより深く包括的な次元で「モデルをつかむ」ことを目指している。すなわち「他人からアレコレ言われたくない私」の地まで掘り下げること、さらには、地を置き換えることまでを企図しようとしているのだ。

 もしも他人からアレコレ言われたくないのなら、それはそれで構わない。ただし、その者はそういう自分のモードのみならずモデルに気づいておくことが望ましい。「エディティング・モデルの交換」とは、多分に自己言及的なのである。それゆえ相互理解というよりは「相互受容」と呼ぶべき態度が求められる。

 

 人は往々にして、他者に対する受容とともに自己の受容を拗らせがちだ。他者を拒絶する者は自身のモデルをつかむことはできず、自身のモデルをつかめなければ他者のモデルをつかむことも出来ないだろう。

 


■2022.12.07(水)

 

 「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉が、どうもプラスチックワード化しているフシを感じて気になっている。いや、そもそもプラスチックな扱いを受けるほどにまで言葉が流布してはいないだろうから、「困難との遭遇」をめぐる経験値が一向に蓄積されて行かない様子をもどかしく感じていると言うべきかも知れない。

 

 編集稽古の場で学衆が「わからなさ」に出会ったとき、師範代は理解、暗示、示唆、誘導、提示によって指南する。つまり師範代は方向性だけを示して、学衆には自身で「わからなさ」を編集するための余地や余白を手渡すのである。
 このとき学衆にとっては、手渡された余地や余白が新たな「問」となる。その「問」が、学衆の「わからなさ」に測度感覚を与える。適切な測度感覚は、情報の自己組織化を促すアフォーダンスを持つだろう。

 

 と、リクツはそういうことなのだが、実のところ師範代の「問」はどれほど有効に機能しているだろうか。花伝所は、師範代の「問」の質を高めるために編集工学の洗練へ向かえているだろうか。
 
 錬成演習渦中の38[花]を見守りながら思うに、メソッドではなくツールの活用方法に開発の余地がありそうだ。既にツールは提供されているのだが、入伝生のみならず指導陣もツールを持て余しているように見える。
 私は美容師だから実感を持って強調しておきたいのだが、ツールを使う訓練こそがメソッドに実効力を与えるのである。

 

指南編集のための「15の想像力解発ツール」

 

① できるかぎり「物語」を重視する。
② 柔らかい「比喩」をいろいろ使ってみる。
③ 何でも「いきいき」としているんだという見方をする。
④ とくに「対概念」に慣れてイメージを膨らませる。
⑤「韻」と「リズム」と「パターン」に親しんで、さまざまな言葉になじむ。
⑥「冗談」や「ユーモア」で状況がわかるようにする。
⑦ 内外の「極端な事例」や「例外」に関心をもつ。
⑧ ふだんの「ごっこ遊び」はとことん究める。
⑨ 自分の「手描き」のイメージで何が描けるかを知る。
⑩「英雄」とのつながりを感じられるようにする。
⑪ 身の回りにも世界にも、いったいどんな「謎」があるのかという関心をもつ。
⑫ どんなことも「人間という源」に起因すると知る。
⑬ 好きな「コレクション」と「趣味」に遊べるようにする。
⑭ 事実にもフィクションにも噂にもたえず「驚き」をもって接する。
⑮ 想像力を育はぐくむ認知的道具の大半は「日々の生活」のなかにある。

参照:1540夜『想像力を触発する教育』

 

 

■2022.12.11(日)

 

 22時、7週間の式目演習が終了。各道場と錬成場で、積み残し課題を抱える入伝生が編集圧力を高めている。毎度恒例の光景だが、制限や制約こそが編集を加速させる好事例だと思う。

 

アイキャッチ:阿久津健

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  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。