この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

■2022.11.21(月)
道場での4週間の演習が終了し、入伝生はここまでの学びを自己採点した「中間スコア」を提出。このあと短いインターバルを経て、いよいよ週末から錬成演習へ臨む。
■2022.11.22(火)
「錬成場」ラウンジ開設。入伝生は2組に分かれて実戦さながらの指南演習を行う。
式目演習5週目となるこの時期、多くの入伝生は、これから始まる錬成演習の準備よりも、これまでの道場演習で積み残した課題の消化に労力を費やす傾向にある。各道場とも目覚ましい集中力で課題提出を連打する者がいて、道場の室温を高めている。当人にとっては負荷の高い学習方法の筈だが、時間の制約が余計を省く効果を生んでいることをポジティブに歓迎しておきたい。「編集は不足から生まれる」である。
■2022.11.23(水)
思うところあって、このところ継続して取り組んでいることがある。ある身体動作の手続きを口頭で相手に伝える、という訓練だ。
たとえば「足を腰幅にして立って、息を吸いながら両手を前へ上げて肩の高さに。吐きながら膝を曲げて重心を下ろしていく」といったような指示を、練習生どうしがペアになって実行する。そして、指示者に言われた通りの動作を行った後に、それがお互いにとってどんな体験だったのかを共有しあう。動作は一定の型に沿ったもので、即興性はなく、さほど複雑な動きは含まれず数呼吸で完了する程度のものばかりだが、指示者のちょっとした言葉の選択やトーン、間合いなどによって、動作を行う者の体験の質が大きく変わることが興味深くもあり、難しくもある。
言葉には、何かの連想を誘いながら気づきのキッカケとなって相手の編集可能性を拡張する力があるが、反対に、良かれと思って伝えた言葉がかえって相手を迷わせたり考え込ませたりすることもある。こうした出来事は、誰もが日常生活や編集稽古のなかで頻繁に経験していることだろう。
そうした際の、いわば「言葉の作法」を自覚的に練磨することは式目演習の眼目の一つでもある。ならば、私自身もあらためてリアルでオーラルな相互編集の現場に分け入って、言葉の力を身体感覚の体験として捉え直してみようと思い至った次第が、冒頭で「思うところあって」と書いた所以である。リテラルなテキストベースで設営されている編集学校だからこそ、オーラルなふるまいやもてなしを「方法」としてより一層洗練していく必要がある筈だ。
参考までに、私の振り返りメモの一部を共有してみたい。どれも当たり前のことばかりだが、言葉がたんに意味を伝えるだけのツールではないことがよくわかる。
◎たとえば「胸を開く」という指示と「肩甲骨を引き寄せる」という指示は似たような結果を導くが、指示された者にとっての体験は大きく異なる。注意のカーソルが向かう部位はどこか。「開く」「引き寄せる」など動作を指示する言葉にはそれぞれどのようなアフォーダンスが宿されているか。
(編集稽古の場で「部位」にあたる要素は何か。また、その要素はどのような動詞を伴って伝えられているか)
◎腰、お尻、尾骨。これらの言葉は意味や語感が異なるだけでなく、それらを起点に動作を行ったときに起こる身体感覚の解像度が異なる。
(言葉には意味の半径やイメージのシソーラスがある。言葉の持つメトリックをいかにマネージするか)
◎言葉を事前に用意しておくことはメッセージを整理するために有効だ。だが引き換えに、現場で相手の反応を観察するための注意が散漫になる。
(指示される者は、指示者の注意がどこに向けられているか/向けられていないかを敏感に察知する)
◎「伝えるべきこと」と「伝えたいこと」はしばしば乖離する。
a) それは伝えるべき/伝えたい情報で、相手にとっても今その情報が有益である。
b) それは伝えるべき情報だが、今伝えたい情報ではない。
c) それは伝えたい情報だが、今伝えるべき情報ではない。
d) それは伝えるべき/伝えたい情報だが、相手は今何らかの理由でその情報を充分に受容できない。いずれの場合も、伝達者は今そこで起きている情報の動向に気づいておく必要がある。
(つまり、与件は自他の相互作用のなかで立ち現れる)
◎伝える情報量は、少なすぎれば相手の不安を招き、多すぎれば相手の受容を窮屈にする。(どこまでを明かし、どこからを伏せるか。よくよく練られたサイレンスは豊かな体験を導く)
◎呼吸の単位に分節された言葉は、届けやすく受け取りやすい。
(これはオーラルでもリテラルでも同じだろう)
◎呼吸の向き(遠心/求心)と動作の向きが協調した動作指示は、動作による体験の質を高める。
(相手の律動を観察するためには、何に着眼すれば良いか)
■2022.11.25(金)
38[花]の錬成演習は比較的緩やかな初動。日付があらたまるのを待ち侘びるかのように飛び出す入伝生は見えず、出題が午後になる教室も少なくない。それが意図されたマネージメントなら構わないのだが、出題のタイミングはゲームメイキングの初手であることには留意しておきたい。ましてイシス編集学校はオンラインでの学習プログラムだ。モニター越しの受講生をどれほどリアルに感じていられるかどうかが生命線となる。
師範代がオフラインでの事情に囚われれば、教室や学衆や師範代自身の編集的自由は制限される。師範代はヴァーチャルな空間に身を置くからこそ、リアルな呼吸を刻み続けるべし。型のなかにいて、最大限に開かれる可能性を探求すべし。芭蕉の言葉はそんなふうにも超訳できるだろう。
アイキャッチ:阿久津健
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
<<花伝式部抄::第21段 しかるに、あらゆる情報は凸性を帯びていると言えるでしょう。凸に目を凝らすことは、凸なるものが孕む凹に耳を済ますことに他ならず、凹の蠢きを感知することは凸を懐胎するこ […]
<<花伝式部抄::第20段 さて天道の「虚・実」といふは、大なる時は天地の未開と已開にして、小なる時は一念の未生と已生なり。 各務支考『十論為弁抄』より 現代に生きる私たちの感 […]
花伝式部抄::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし
<<花伝式部抄::第19段 世の中、タヨウセイ、タヨウセイと囃すけれど、たとえば某ファストファッションの多色展開には「売れなくていい色番」が敢えてラインナップされているのだそうです。定番を引き […]
<<花伝式部抄::第18段 実はこの数ヶ月というもの、仕事場の目の前でビルの解体工事が行われています。そこそこの振動や騒音や粉塵が避けようもなく届いてくるのですが、考えようによっては“特等席” […]
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。