[週刊花目付#37] アサガオのセツジツ

2022/07/12(火)13:16
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週刊花目付#37

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■2022.7.05(火)

 

 37[花]のキャンプ場がオープンした。

 

 全員が集うセンターラウンジは「槿境」、ワークを行うグループラウンジは「うた座」「かた座」と名づけられている。今期のキーエディション日本的文芸術』に肖った世界定めだ。「槿」は言わずもがなの1315夜、「うた」「かた」は「歌・型」の脚韻揃いと解釈するも良し、「泡沫」「唄方」と方法日本の文脈へシソーラスを拡張するのも良いだろう。

 

 まぁ本来ならこうした設営の裏話を必要以上に明かすのは野暮なのだけれど、こと花伝所では入伝生が講座の仕組みごとリバースエンジニアリングして考察することを推奨しておきたい。何故なら、師範代とは「問いを放つ者」であるからだ。

 問いを放つことは、たんに「出題する」ということではない。編集稽古における「問い」は「問・感・応・答・返」の起点なのだから、「問」によって引き起こされる「感」「応」「答」「返」がいかなる動向を示そうとも、師範代はそれらを引き受けて応じることが求められる。編集を起こす、あるいは編集状態に身を置くとは、そういうことなのだ。即ち、花伝式目5Mを修得する過程は問いを放つ訓練なのであり、様々な場面で出会う「問い」の設営や手渡し方/手渡され方の全てが生きた教材になることだろう。

 

 

■2022.7.08(金)

 

 明日からの指南トレーニングキャンプに備えて、入伝生たちが軽やかに事前課題を提出しているときだった。相互編集ワークの充実を予感させる空気のなか、元首相銃撃の報が響く。

 

入伝式で松岡校長が仰っていた乱世という言葉が今、心の中でこだましています”
“今後日本はどうなっていくんでしょう”
“色々と「ありえない」な1日でしたね”
“改めて、編集力が問われますね”
“今日は心が疲れました”
“何か一心不乱になれることが救いです”

 

 災害や騒乱や事故や事件の衝撃が走るとき、情報は様々なフィルターを通過し、回路を経由し、増幅または減衰しながら拡散していく。今日の悲劇は誰にとっても心を乱す出来事だったろうに、むしろワークへの集中を促す方向へ作用している様子が頼もしくもあり、興味深くも感じられた。
 おそらく、講座のクライマックスへ差し掛かろうとしているからということだけではなく、この社会や時代に生きるなかで抱く不安や義憤や諦念といった負の領域の質量を別様の可能性の側へ転化させ得る力を、入伝生たちは編集工学に見出そうとしているのだと思う。


 今週末、37[花]は編集の力で別様可能性の拡張へ挑もうとしている。それは実から虚への逃走ではなく、からへの闘争なのだ。

 

 

■2022.7.11(月)

 

 編集学校の講座は、学ぶ者の想像力や好奇心を起爆させるように仕組まれている。同時に、セツジツやフラジリティをクリックするようにも仕掛けられている。

 

 たとえば、[守]の名物お題「たくさんの私」は「自己(セルフ)」の編集可能性に遊ぶ稽古だが、自己はときとして変化や更新を拒み、防御本能を発動させることがある。そして免疫的自己が優位になれば、編集的自己は束縛される。[花]で遭遇する困難の多くは、この「自己」をめぐるキシミとハグレなのだ。

 花伝式目は、こうした「はぐれた私」を状況ごと受容したうえで、自己も状況も編集対象としてモデリングすることを求め、そこに編集可能性を見出すことを教えている。

 

 そうは言っても、誰しも伸び伸びと連想に遊ぶ稽古は楽しいが、我が身の痛みと向き合うことを求められる場面で難しさに立ちすくむのは自然な反応だ。

 学びの途上で出会う楽しさと苦しさは、光と影の関係に似ているように思う。光は影を照らしもするが、影は光を際立たせもする。そうだとすれば、光ばかりを求めたり、影に怯えるばかりではなく、それらの配置と交換の次第が編集稽古を運ぶ動力を生み出していることが見えてくる。

 

 週末の指南トレーニングキャンプは、こうした編集稽古の力学を仕組みごと体験学習する2日間だった。

 負荷のかかるワークのなかで、多くの者は7週間の演習の手応えを確かめつつも、それと同量の不足にも出会ったことだろう。自身の抱えるセツジツに発火した者は編集工学と社会の接地面に方法の橋を架けようと挑み、自身のフラジリティが軋む者は「感・応」の間で迷い、逸(はぐ)れもした。それらの体験を各々振り返って言語化し、次のステージへフィードバックして行くことが、入伝生に課せられた式目演習最後の課題だ。

 

 37[花]は月末の敢談儀を経て放伝へ向かう。アサガオが門出を祝うことだろう。ちなみにアサガオは秋の季語で、次期50[守]は秋の開講だ。そして、「秋」は「明き」「開き」に通じていることも申し添えておこう。

 

朝顔の紺のかなたの月日かな 波郷

 

アイキャッチ:阿久津健
>>38[花]

  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。