エディスト虎の穴・ジャイアン人物伝 #004 堀文子の「既知から未知へ」

2021/02/19(金)18:07
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エディスト新人ライター・角山ジャイアンに示された「お題」は人物伝。海千山千のインタビュー経験を渉猟しながら、「イシスっぽい人」をイシスの外に見つけだす。果たしてジャイアンは、先達エディストライターを唸らせることができるのか!?

(前回はこちら

 

既知から未知へ。


イシス編集学校でお題目のように唱えられている言葉です。[守]の「編集稽古の心構え」にもこうあります。

《思考を加速させ、既知から未知へ、「さしかかる」瞬間へ向かっていきましょう》

実はジャイアンは、46[守]開講以来、「既知から未知へ」のフレーズを意図的に使わずに来ました。なぜか。この言葉の重さを、そばで見てきたからです。

 

日本画家の堀文子さんをご存じでしょうか。2019年2月5日に100歳の生涯を閉じましたが、最後まで絵筆を握り続けました。堀さんは大きな意味で「自然」を描いてきた画家ですが、ひとつのテーマに拘泥したことがありません。
堀さんの代表作は、『幻の花 ブルーポピー』(2001年)です。81歳の時、わざわざこの花を求め、周囲の反対を押し切りヒマラヤ山麓を訪れて描いたものです。発表すると、ブルーポピーを描いて欲しいという注文が殺到しました。画家の世界では普通にあることです。ところが堀さんはそれを断ってしまう。なぜだったのでしょうか。

 

堀さんは、樹齢300年のホルトの木のたもとに建つ大磯のアトリエに暮らしていました。ジャイアンは縁あって、堀さんの最晩年、一人暮らしの家を何度も訪ねました。毎回、ICレコーダーをセットするより先に、目の前にコップが置かれます。まずは駆けつけのビール一杯。缶ビールを空けると、今度は八海山。飲まされに来たのか、取材に来たのか。おろらく両方なのでしょう。
堀さんは、群れない・慣れない・頼らないの三位一体を自分に課していました。どの団体にも属さず、「一所不住」で引っ越しを繰り返し、甘えると生きる力が鈍るとひとりで生きることを選び取りました。
お酒が進むと、よくこんなふうに諭しました。


「あなた、出世したいなら、群れて、慣れて、人に頼りなさい。つまらない人生になるけど、お金は貯まるわね」

 

いちばん記憶に残っているのは、「困難な道を選べ」という言葉です。

 

堀 (人生は)Y字形になっているんですよ。もう朝から晩までY字形だと思うの。だけど、(分岐に来たら)悪いほうを選ぶ。
――悪いほうを選ぶんですか?
堀 困難なほうをね。そのほうがずっと発見がある。うまくいった時はね、いい気になっていてもうそれ以上になれないけど、困難なものにはいろいろ工夫しなきゃならないし、しくじりも多い。しくじった時に次の道が開けるの。

 

 ブルーポピーを求められて描くことは、堀さんにとって、楽な道です。しかし既知の道、安全な道に驚きはない。だから堀さんは、あえて困難な道――「未知の不安」を求めたのです。

 

《仕事をするときは、常に不安と孤独の中。後ろへ戻ることもできなければ、前にも行けない。しかしもう後ろには帰れないから、前に行くしかないというその繰り返しです》(『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』小学館)

 

ジャイアンは堀さんの中に、「既知から未知へ」の覚悟をいつも感じていました。

 

堀 困難が好きなわけじゃないですよ。でも平坦な道で褒められることをやってもビックリしないでしょ?
――平坦な道は予想ができますものね。
堀 困難な道はあれね、宙づりになってるようなものね。手を離したら谷へ落ちて死ぬ。だからよじ登るしかないじゃないですか。だから、宙づりみたいなのを好むんです。自分の足場の安定したところにいたら、感動しないじゃないですか。

 

取材中、ジャイアンは何度か怒られました。
お為ごかしに笑ったり、いい加減な合いの手を入れると、「思ってもいないのに、安易に同調するな」とピシャッと制するのです。

 

自分を突き飛ばしたら、そこから何か生まれて来るのではないか》(同前)

 

「自分と果たし合いをしている」といって憚らず、未知への冒険を続けるひとりの人間を前に、ジャイアンはいつも、雷に打たれたようになるのでした。


既知から未知へ。


この言葉はジャイアンにとって、崖から飛び降りるような心持ちがするのです。もちろん、足に紐はついていません。だから口にしません。口にすると嘘に聞こえるからです。じゃあどうするかって? その先に何かあるか、考えずに前に進むことにしました。そして今も進んでいます。

 

 

先達エディスト・太田香保の指南:

 恥ずかしながら堀文子さんの作品はブルー・ポピーしか知らず、この記事で初めて堀さんの人柄や志操に触れることができました。ぜひ作品ももっと見てみたい。こんな人物の生前の謦咳に接することができたジャイアンさんが心底うらやましい。
 と、いうふうに読者を焚きつけたいというのがジャイアンさんの狙いなのでしょう。私は見事に嵌められました。もうひとつ、たんに堀さんの紹介をするだけではなく、編集学校でおなじみの「既知から未知へ」の意味を根底から問い直してみたいという魂胆もジャイアンさんにはあるようですね。でもそれについては、読み手を誘い込む導入と、余韻に浸らせる終結に、重大な “設計”ミスがあるようで、私はいまひとつ説得された気がしませんでした。
 まず導入のほう。「既知から未知へ イシス編集学校でお題目のように唱えられている言葉」とある。「お題目」というのは「口先だけで内実がない」ことを指す、たいていは相手をクサすときに用いる言葉です。もし編集学校でこの言葉を「お題目」にしている人が本当にいるなら、ただの外道か浅学者と思われます。そんな吹けば飛ぶようなレベルを引き合いに堀さんの「言葉の重さ」を伝えようとしても、そもそも比較対象が悪すぎます。ちゃんと「重さ」を引き立たせるような相手を、ノギスで測ったように選び直しましょう
 終結のほうですが、そんな「言葉の重さ」をもつ堀さんを前に、ジャイアンさんはいつも「雷に打たれたように」なるのだと言い、続けざまに「崖から飛び降りるような心持ちがする」とも書いています。これではまるで撃たれても落とされても死なない戦隊モノの主人公めいていて、もはやフィクションのように聞こえます。やっぱり堀さんの「言葉の重さ」を台無しにしています。リアルな「痛み」のほどをわきまえた、適切なメタファーを選び抜くようにしましょう
 ことほどさように設計ミスがあるにはありますが、堀さんの言葉とともにジャイアンさんの緊張感が生き生きと綴られている本編は、「エディスト」きっての出色の記事だと思います。今後の人物伝も楽しみにしております。

 指南を読みながら、気づくと小刻みに震えている。泣いているのかって? 違う。笑いが止まらないのである。なぜか。ジャイアンの意図的な暴投をいとも容易く打ち返されたから? いやノギスで測ったように正確に記すならば、ジャイアン……もとい、キレンジ
ャーの魂胆や陶酔感をピンセットで取り出され、目の前に丁寧に並べられたからに違いない。
 オレサマは外道にも浅学者にもならねぇぞ! ボ~エ~~~~~と力一杯叫んでみたが、叫んでも笑っても何も変わらない。まずは表現のノギスとハカリを手に入れるところから始めることにする。

   創や病で 死ぬる身なれば
   言の限りを 振り絞る

(#005へつづく)

  • 角山祥道

    編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。