この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「子どもにこそ編集を!」
イシス編集学校の宿願をともにする編集かあさん(たまにとうさん)たちが、
「編集×子ども」「編集×子育て」を我が子を間近にした視点から語る。
子ども編集ワークの蔵出しから、子育てお悩みQ&Aまで。
子供たちの遊びを、海よりも広い心で受け止める方法の奮闘記。
蓬を摘む
今年も蓬が伸びてきましたよというラインを受け取って、3月の半ば、長女(7)と一緒に花農家である夫の実家の畑に行く。
これが蓬、葉の裏がちょっと白くてふわふわしてるのが特徴だよと指さして長女に教えると、「知ってる!」といい、一つ摘んで袋の中に入れた。
じゃあ、どんどん摘んでいこう。腰を落とし、もう子どものことは半分忘れて摘み始める。
できるだけ若い葉を摘みたいと思って選り始めると時間がかかる。スピードを上げると他の草が混じってしまう。蓬餅を作るのだ。うっかり毒のある草が入ると大変だ。蓬に似た毒草ってあったっけ? 頭の中で検索する。ドクゼリはあるけど、ドクヨモギは無かったような気がする。
桃畑のほとりで
長女がのんびりと「かわいい花があった。これも摘んでいい?」と聞いてくる。混じると後の選別が大変だから今は蓬を摘もうねと言うが、もう数分後には「タンポポ!」と花に吸い寄せられている。花には魔術的な力があるのだろう。もう一つ袋を渡し、蓬以外はこっちねと伝える。
どれぐらい摘めば十分なのか。一年に一回のことだからあやふやだ。袋はなかなかいっぱいにならない。腰を伸ばす。空が広い。長女はふだん歩かない畑のでこぼこにちょっと苦戦しながらも、あっちこっち跳ねまわっている。
30分ほど摘み、夫の両親と合流した。私の倍ほども摘んでいる。早い。「私も15枚ぐらいは摘んだよ」と長女は誇らしげに言う。
草餅を作る
翌日、長男(13)も加わって草餅をつくる。レシピによるともち米3合に50グラムがちょうどよい割合のようだ。
重さを計ってみると、予想よりも多く摘めていたので、やわらかい葉をさらに選んで使うことにした。
茹でて、水にさらし、刻む。他の野菜とちがって、筋が切れない。蓬がそのままでは食用に向かないということがよくわかる。みじん切りをするように包丁でたたくと、まな板が緑に染まっていく。
ホームベーカリーを「もち」モードにセットし、餅米を蒸す。つきはじめたタイミングで、刻んだ蓬を投入した。白い餅が少しずつ緑色になっていく。10分ついて取り出した。「あちっ」。大人がちぎり、子どもがあんをくるんでいく。
何度もやっている長男は、あまり形にこだわらずさっさと作業をすすめていく。きれいな丸にしようと奮闘している長女が「どうしておにいちゃんばっかり、早いの?」と泣きだす。長男が「なんでふつうにやってて泣かれないといけないんだ」と不機嫌になる。
すったもんだしながら、12個できあがる。「今、一個食べていい?」と長女がいって真っ先にかぶりつく。もう泣き止んでいる。
まな板が緑に染まる
まるくできた
土筆はおかずに
よもぎと同じ時期に伸びてくるのが土筆(ツクシ)だ。こちらはマンションの自転車置き場に生えてくるので、暖かくなってくると出かける時に今日は出てないかと地面を観察するのが習慣になっている。
「あった!」
一本見つけると、あちこちで見つかるようになる。一日でぐんと伸びるのが蓬との違いだ。収穫適期は短く、4、5日ほどでたけてしまう。
土筆には葉緑素がない
摘み取っている時、長女が途中で「緑の粉が出てきた!」と言ってほうり出した。長男が「それは胞子っていって、種みたいなもの」と教える。
家に戻り、白い紙に胞子を落としてみた。しばらくすると緑の粉がふんわりとした感じに変化する。調べてみると、土筆から飛び出したことで湿度の変化を感知し、4本の「腕」がのびる仕組みになっているからだった。土にしがみつくための腕である。
ハカマを取るのは長男の担当である。丁寧に水洗いし、みりんと醤油で味付けし、佃煮にした。
魂振りの力
なぜ土筆を摘み、食べることを子どもに教えたくなったのかといえば 小さいころに土筆摘みすることが大好きだったからである。一年に一度しかできない遊びだった。
蓬摘みはしたことがなかったが、近所の人からもらう重箱入りの蓬餅がとても美味しかった。これも一年に一度だけなのであった。結婚して、夫の祖母が毎年蓬を摘んで餅を作っていたと聞いた。臼と杵でつくことはとてもかなわないが、ささやかに真似てみることにした。一度すると、その次の年も作りたい気持ちがおさえられなくなった。
3月の末、白川静漢字学の輪読座最終回で『古代歌謡の世界』を読んだ。古代、草摘みは予祝として行われたという。魂振りのための行為でもあった。従軍などで別れた恋しい人の無事を祈って行われることもあった。
二十数年後、子ども達が大人になって住むところに、蓬や土筆はまだ生えているのだろうか。土筆が終わり、スギナが勢いよく伸びはじめている空き地を見て、今年初めてそんなことを考えた。
〇編集かあさん家の本棚
『つくし』甲斐信枝 作/福音館書店・かがく絵本シリーズ
『シダの扉 めくるめく葉めくりの世界』盛口満著/八坂書房
松井 路代
編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。
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コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。