編工研社長コラム「連編記」スタート!:vol.1 “語るべきことは、語り得ない「あいだ」にある”

2023/09/12(火)19:59
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編工研が、満を持してニュースレターの配信をスタートしました!

「編集工学研究所Newsletter」で、われらが社長の安藤昭子がコラム連載を始めました。遊刊エディストでは、この社長コラム「連編記」をお届けしていきます。

「連編記」では毎回、一文字の漢字を設定。この一文字から連想される風景を、編集工学研究所と時々刻々の話題を重ねて編んでいきます。

 

そういえば、安藤社長は今週末の感門之盟にも登場される予定。なんでも、バーのママになってやって来るとか、来ないとか。安藤さんは泣く子も黙る酒豪だって、みなさんご存知でしたか……?

ぜひ感門之盟と「連編記」を、合わせてお楽しみください。

(ニュースレターへの購読登録方法については、現在準備中です。)

 

(「連編記」配達人:山本春奈)

 

 

「連編記」 vol.1

「間」

語るべきことは、語り得ない「あいだ」にある

 

コロナ禍、デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)がたいへん話題になりました。みんながうすうす感じていた「仕事をめぐる不都合な真実」とそのメカニズムを、人類学者・グレーバーの鋭利な切込みによって白日のもとに晒した快著です。リモートワークへの移行もあいまって、多くの人々の仕事観を揺らしました。

本書が日本に紹介される3か月ほど前、『民主主義の非西洋起源について:「あいだ」の空間の民主主義』という小ぶりな一冊が以文社から刊行されていました。120ページほどのグレーバーにしては短い論考ですが、これもまた現代人の通念をひっくり返そうとするような挑戦的な書です。 

原題は「There Never Was a West」、そもそも「西洋」など存在したためしはないとして、副題には「Or, Democracy Emerges From the Spaces in Between」、民主主義は「あいだ」から創発してきたものだと添えられています。民主主義の起源はアテネにあるのではなく、国と国、文明と文明、共同体と共同体のあいだの混淆の中から生起してきたもの。故に、本来「民主主義」と「国家」は折り合わない。さらに、今日私たちが経験しつつあるのは民主主義の危機ではなく、むしろ国家の危機なのであると、グレーバーは説いていきます。 

 

“民主主義は今、それが当初生まれた場所に帰りつつあるように見える。
 つまり、あいだの空間に。” 
     『民主主義の非西洋起源について:「あいだ」の空間の民主主義』 


国家のような安定を目指す「枠組み」ではなく、ゆらぎこそが実態のような「あいだ」に根を張るべき民主主義とは、どういう姿をしているものでしょうか。グレーバーは、読者の想像力を挑発するように、「あいだ」という難問を残して筆を置いています。
 


 

日本には古来、「間(あいだ・ま)」の文化が根付いてきました。「間」は空間的には「あいだ」、時間的には「いとま」。時空間を同時に捉え、その何かと何かの間の状態を指すものです。 ジャック・デリダが「差延(さえん)」と名付けたような概念を、日本では「間(ま)」として身体感覚に備えてきました。間に合う、間が悪い、間が持たない、あっという間、間に合わせ……。納会や宴会の「中締め」として行う手締めの「イヨーッ、ポン」、どんなに大勢でもたいてい気持ちよく「ポンッ!」と揃います。アメリカ人にこれをやってもらうと、「イヨー(ワン・ツー・スリー)ポン」とあいだの拍をカウントする。日本人はこれを「間合い」で取っている。そういう身体感覚です。 

編集工学研究所では、こうした「間」というコンセプトを中心に据えたビジネスリーダーのための学びのプラットフォームを毎年展開しています。その名も「Hyper-Editing Platform[AIDA]」。20年程前に「松岡正剛に学びたい」という三菱商事とリクルートの有志の方々の声がけで始まった、企業人と各界エキスパート達の一座です。去る8月8日、普段は伏せられているこの[AIDA]が、一夜限りの公開イベント「AIDA OP(アイダオープン)」として催されました。
 

編集工学研究所 Newsletter



「間とはなにか、なぜわれわれは間を考えるのか」、一座を支えるAIDAボードメンバーのみなさんと、さまざまに「間」をめぐる見方を交わしました。 

“「間(ま)」のような時間と空間を含有している概念がヨーロッパにはない。長谷川等伯の松林図屏風の余白のような「描かれない空間」を、ヨーロッパでは「ネガティブスペース」と言います。”(メディア美学者・武邑光裕さん)

「ない」という状態が「ある」と捉える日本の「間」感覚は、たいそう翻訳が難しい。「間(ま)」は経路・プロセスと考えると通じやすくなるそうです。 
 

“二人以上集まると「世」というが、それらが重なり合っているものを「世間」と言う。「世間」の全体は見えないけれど、私たちは「間」で「世」を感じあっている”(江戸文化研究者・田中優子さん)

グレーバーの言う「あいだから創発してくる民主主義」が、江戸の浮世にはそこかしこで躍如していたそうです。 
 

“語り得ないことほど、語るに足る。そこにあるのがまさに「間」です。こうした日本の概念には西洋のスタンダードをひっくり返すポテンシャルがある”(社会学者・大澤真幸さん)

日本人が無意識に抱える見えない資産を、胸を張ってグローバルに持ち出すべき、と大澤さんは指摘します。 


どこを見渡しても混迷を極める現代、容易には語り得ないこの「間(あいだ・ま)」というコンセプトは、私たちの思考を力強く前に進めるひとつの器になるものと思います。 

編集工学研究所では、今年も10月からHyper-Editing Platform[AIDA]シーズン4が始まります。今季のテーマは「意識と情報のAIDA」。どんな語り得ない「あいだ」が姿を現しますか。またいずれこちらでも、一端をご報告できればと思います。

 

安藤昭子(編集工学研究所 代表取締役社長)

 


◆編集工学研究所からのお知らせ

■世界の「あいだ」に切り込む半年間、
 Hyper-Editing Platform[AIDA]シーズン4「意識と情報のAIDA」 お申込受付中です。

ビジネスリーダーのための学びのプラットフォーム「Hyper-Editing Platform[AIDA]」が、今年も10月から開講します。

生成AIの躍進をはじめとした技術革新が加速度を増す昨今、「人間とは何か」「生とは何か」といった根源的な問題を、誰もが身近な問いとして抱えざるを得ない時代になりました。
AIDAシーズン4のテーマは「意識と情報のAIDA 」。メディアアーティストの落合陽一さん、人工意識研究者の金井良太さん、現代芸術家の森村泰昌さん等をゲストに迎え、脳と心、自己と身体、意識と精神、技術と自然、宗教と認知、といった我々の内外に出入りする問題群と、それらの「あいだ」に多様な角度から切り込んでいきます。

あと数席お席がございます。ご参加をご検討の方は、ぜひお気軽にお問い合わせください。
→ Hyper-Editing Platform[AIDA]公式サイト

 

Hyper-Editing Platform[AIDA]season4

 


■一夜限りの「あいだ」の祭典「AIDA OP(アイダオープン)」(2023/8/8開催) 見逃し配信のご案内

2023年8月8日、一夜限りの[AIDA]祭りが開催されました。普段は受講者のみに閉じられた場であるHyper-Editing Platform[AIDA]で何がどのように交わされているのかを、武邑光裕さん、田中優子さん、大澤真幸さんらAIDAボードメンバーの見方を交えて交わし合いました。
イベントにご参加いただけなかった方も、見逃し配信をご覧いただけます。
→ 「AIDA OP」見逃し配信

  • 安藤昭子

    編集工学研究所 代表取締役社長
    東京生まれ東京育ち。新卒で出版社に就職。書籍編集に従事するも、インターネット黎明期の気配に惹かれて夜ごとシステム部に入り浸る。javaを勉強し、Eラーニング・プログラムを開発。会社から編集者かエンジニアか選ぶよう言われ「どっちも」と言って叱られる。程なくして松岡正剛を知り、自分の関心が「情報を編集すること」にあったと知る。イシス編集学校に入門、守破離のコースを経て2010年に編集工学研究所に入社。2021年に代表取締役社長に就任。企業・学校・地域など、「編集工学」を多岐にわたる領域に実装・提供している。Hyper-Editing Platform[AIDA]プロデューサー、丸善雄松堂取締役。著作に『才能をひらく編集工学』、『探究型読書』。新芽、才能、兆し、出会いなど、なんであれ「芽吹き」に目がない。どこにでも自転車で行く。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。