髪棚の三冊 vol.2-4 「粋」のススメ

2019/11/08(金)11:19
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デザインは「主・客・場」のインタースコア。エディストな美容師がヘアデザインの現場で雑読乱考する編集問答録。

 

髪棚の三冊 vol.2「粋」のススメ

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『美意識の芽』(五十嵐郁雄、GIGA SPIRIT)
『「いき」の構造』(九鬼周造、岩波文庫)
『ブランドの世紀』(山田登世子、マガジンハウス)
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■中心と周縁

 

 一方ダンディズムの流行の裏側で、女性たちは男性に保護される家族として、その富を家長に代わって「代行消費」するようになって行った。
 そして「消費」を目的とする価値意識として「新しさ」という要素が一層耳目を集めることになり、流行の周期は加速し、多様なモードが次々に消費されていくことになったのだ。

 

 かくして20世紀は「モードの世紀」となった。パリを中心としたオートクチュールのシステムが確立されると、雑誌やテレビなどの新興メディアの隆盛も手伝って、「モード」は企業による経済流通支配の先鞭となって世界の津々浦々へと伝播されて行った。
 こうした巨大な産業複合体が「モード」を生産する様子は映画『プラダを着た悪魔』などにも描かれている。ファッションの今日的消費者たちは、かつての新興市民が貴族の装いを手本としたように、メディアから送り込まれる情報に目を凝らしては「模倣」という水流のたえまない流れに身を任せているのだ。つまり事程左様に「モード」や「流行」はその出自に中央集権的な事情を孕んでおり、その玉座には「幸福の理想像」とも呼ぶべき金殿玉楼がそびえていることを看過してはならない。

 

 この完全無欠な幻の理想像を、五十嵐さんは次のような形容詞群によって明らかにした。


・西欧の
・都会の
・豪邸で
・優雅に
・安全に
・上品な
・ふくよかな
・大人の
・若い
・女性的な


 こうしたモードのメインストリームに対して放射状に対比概念を展開させた周縁に、21世紀の「粋」は拡がっている。ただし周縁とは決して主流に対しての傍流ではない。マジョリティに対するマイノリティということでもない。価値の多様さとは、規範や標準や中心が想定された相対評価によって語られるべきではないのだ。
 つまり「粋」とは、既存の意味や価値を再解釈するモードであり、別様の可能性のプレゼンテーションであり、よくよく練られた逸脱へのディレクションなのである。

 

追記:

「たたならぬジジイ」を自称した我が編集的先達五十嵐郁雄さんは、この9月で4周忌を迎えます。ただならぬ教えをいただきました。お陰さまでどうにかそれなりに蟻牙で世界に歯向かっています。誇りにしてください。ありがとうございました。

 

 

[髪棚の三冊vol.2]「粋」のススメ
1)蟻牙の鋭鋒
  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。